半永久染毛料染毛剤

今日は何が何でも髪を守り抜くと。

これに対して製黙っているのは、お尻を撫でられた女性が黙っていて一言も言わないのと同じことでしょう。「スキンヘッドを撫でられたら間髪をいれずに相手を殴るべきである」と私は自分に言い聞かせました。どちらかといえば私は気が長く、腹の立つタイミングが人様より30秒ほど遅いので、「間髪をいれずに相手を殴る」というのは最も苦手とするところです。しかし、ことは男の面子にかかわることなので、イザというときにはやはり態度を
はっきりさせる必要がありましょう。このようなことを書いていると、この時期の私はすっかりスキンヘッドにすることを決心していたように思われるかもしれませんが、本当のところはかなり迷いがありました。スキンヘッドにするということはいかにも男らしいし、あの気の狂いそうな頭の癖さともおさらばできます。しかし、しかしです。実際にスキンヘツドにするということは、カツラをとることも含めて随分抵抗があるのも事実でした。妻はとにかく剃れ、剃れと毎日のように言います。なんという新妻でしょう!私はいずれ将来的にはスキンヘッドにするつもりにはなりましたが、それは2、3年先のことだろうな、と漠然と考えていました。

さて、脳外科では当然のことですが頭の手術をします。このときには手術前に全刺毛といって、患者さんの頭をすっかり剃ってしまうわけです。髪の毛があると、消毒したり皮膚を切ったりするのが難しくなりますが、何といっても手術しているときに髪の毛が脳の上に落ちたり、中に入ってしまったら大変なことになるからです。しかし、特に若い女性の患者さんの中には髪の毛を切ることに抵抗のある人が随分沢山いるようです。我々の感覚からすれば、髪の毛を切っても命の危険もなければ痛くもないわけで、手術そのものに比べればずっと気楽に済ませることができるのではないか、と思うのですがそうもいかないのが現実のようです。「先生は女性の心がわからないのよ、私は手術よりも髪の毛を切ることの方が嫌よ!」と言ったのは20歳を過ぎたばかりの学生さんでした。彼女は髪の毛を腰のあたりまで伸ばしていましたが、いざ病院内にある散髪屋に行って制毛するというときには相当抵抗しました。「そんなに私を丸坊主にしたいのだったら、先生も剃ったらどうなの。そうしたら患者さんの気持ちがわかるわよ」と言われたときにはよっぽど、「よっしゃ、ええチャンスやからこの際、思いきってスキンヘッドにしてしまおうか」と思わないでもありませんでした。患者のためという大義名分のもとに一気にスキンへッドにしてしまえば、私の過去を疑うものは誰もいないはずです。もう一歩のところでスキンヘッドにするのを踏みとどまったのは何も大した理由があるわけでもありません。そのときにはすでに土曜日の夕方になっており、早く家に帰って休みたかったからでした。

使う毛髪を選んだ


カツラや植毛など

「悪いな、ワシもう帰るから君1人で行っておいで。そのうちにワシかて丸坊主にするさかい」と言って私は病院を出たのでした。スキンヘッドにしようかどうしようか、と悩んでいることはそう誰にでも相談できることではありません。そんなわけで私が相談したのは事もあろうにアスペン·ヘアーの中原さんでした。「先生、今さら何言うてるんですか。スキンヘッドやなんて正気の沙汰やないですよ!そんなこと言わんと、新しいのを1個あつらえはったらどうですか。今使っている製品は大分いたんできてますから、また新しいのが必要になりますよ。今度の新製品は前に比べるとずっと具合がいいですよ」という彼に乗せられて私はスキンヘッドにするどころか新しい製品を1つ注文してしまったのでした。またまたン十万円の出費です。新しい製品ができるまでには数週間かかりますが、この期間は少しうきうきした気分になる反面、大金が出ていくのが辛くもありました。
11 むしり取られたカツラちょうどゴールデンウィークになり、私は病院を休んで四国の妻の親戚の家に遊びに行きました。妻の母方の親戚はこの地で由緒正しい旅館を代々やってきたのですが、それを継いでいるのが叔母でありました。旅館の名前を「錦水」叔母は皆に「錦水さん」といわれていました。私たちはこの旅館に泊まって自転車に二人乗りして今治といい、城に行ったり、映画を見に行ったり、キャッチボールをしたりして過ごしました。そうやって普段できないことをして過ごしましたが、その間も妻は毎日のように「今しかない。今こそ剃ってしまうチャンスよ」と私を説き伏せようとしていました。そのうちにふと「いっそ坊主にしてしまおうか」という考えが頭をかすめました。念のため錦水さんに聞いてみると「折角、髪の毛があって若々しいし、本人はそれでちゃんとやっているのだから、無理に剃ることはないじゃないの」という、ごく普通のレスポンスでした。この2人の間に挟まれた私は「剃る剃らないは別にして、とりあえず開いている散髪屋の場所だけ確認してみよう」というまことに中途半端な決定をしました。しかしゴールデン ·ウィークのこととて営業している散髪屋さんは皆無でした。ちょっと足を伸ばして結婚式場にもなっているホテルに行ってみましたが、美容院はあれども散髪屋はありませんでした。「せっかく決心したのに残念だなあ」と私は半ば嬉しいぐらいでした。

の発毛·育毛剤の使い方髪が完全に乾き

しかしこれを聞いた錦水さんは、幼な馴染みの近所の散髪屋に電話をかけて、「ちょっと一郎ちゃん、うちの甥っ子が頭をすっかり剃ってしまうけん、店を開けてちょうだい」と閉まっている店を無理やり開けさせてしまったのです。どうやら私の頭は、これを全部剃るという方向ですっかり皆の話が決まってしまいました。私は座布団をくくりつけた自転車の荷台に再び妻を乗せて、散髪屋に行きました。「実は私、今までカツラをしていたんですが、この際とってしまって坊主にしようと思うんですわ」と、散髪屋のオッサンに告白すると、オッサンは「へっ全部剃ってしまうんですか?」といって今さらながら驚いてしまいました。「このカツラは後ろの方で髪の毛にくくりつけて止めてあるんですけどね、まずこれを切ってはずしてほしいんです」「ようできてるカツラですなあ」というわけで、結婚以来、というより知り合って以来初めて真実の頭を妻にさらすことになりました。オッサンの方はいつまでも驚いていて「ほんまにこれ全部剃ってしまっていいんですな?」とやっています。初めて私のカッパ頭を見た妻はいっきに5歳ぐらい老け込んだような私の風貌を目のあたりにして、一瞬これは失敗か?と思ったそうです。私としては
ハゲている頭を見られる方が坊主頭よりも数段恥ずかしかったので「何でもええから、はよ剃ってくれ!」という心境でした。ウィーンというバリカンの振動が頭の皮膚に響きながら、残り少ない髪の毛がバサッ、バサッという風に床に落ちていきます。


右側の方が薄いですね

薄毛を克服できるかどう

そしてついにはすっかり坊主に、というよりスキンヘッドになってしまいました。外したカツラは用がなくなったとはいえ、一応袋に入れて持って帰ることにしました。再び自転車の荷台に妻を乗せ、すっかり涼しくなった頭で錦水旅館に向かってペダルを漕ぎました。やはり一歩外に出ると周囲の人の目が気になります。道を歩いている人が全員こちらを注目しているような気がするので全速力で町を走り抜けました。旅館に帰りつくと叔母がヒノキの風呂をわかして待っていてくれました。昼風呂に入って細かい髪の毛や長年にわたってたまった頭皮の垢を落とします。途中で妻が風呂を覗きに来ましたが、彼女は後々まで「あのとき浴槽にゆらゆらと浮かんでいた白い坊主頭が忘れられないわ」風呂から出た私は旅館の玄関の前で妻と叔母とともに記念写真を撮りました。今でこそ顔の皮膚の色と頭の皮膚の色が一致していますが、このときの写と言ったものでした。真では随分と生っ白い頭で、しかも恥ずかしそうな表情です。しかし妻の方は「やっぱり私の思っていた通り、頭の形がいいので坊主が似合うわあ」と御満悦でした。その夜、私は錦水旅館でひんやりした枕を後頭部に感じながら「とうとう本当にやってしもた」という感慨とともに眠りについたのでした。

薄毛について


かえって薄さを際立たせてしまうのは間違いないです。

さてスキンヘッドの頭で外に出ていきますと、四国の田舎町のこととて単に歩いているだけで周囲の人を随分驚かせてしまったようでした。ただでさえ身長180センチ以上ある大男の上に、スキンヘッドの頭が乗っているとなると田舎の人々には刺激が強すぎるようでした。どうも周りから人がいなくなるように思ったのは気のせいだったのでしょうか。一方、妻の方は「頭を坊主にしたからには、それに似合うメガネをあつらえなくっちゃ」と妙に張り切っていました。周囲に知り合いのいない田舎で坊主頭で過ごすのはしばらくすると慣れてしまいました。問題はいかにして大阪に復帰するかということです。どういう顔をして職場に出勤するのか、周囲の人々にどうやって言い訳をするのか、というのが私にとっての最大の課題でありました。否応なく時間はたち、ついにスキンヘッド後の初出勤の日がやってきました。
12 新たな出発人生の一大記念日であったはずのこの日のことは、妙なことにかなりの部分の記憶が欠落しています。この頃の私は自転車で大学附属病院まで出勤していたので、いつものように家を出て、白転車置場にとめたはずです。そこから病院の玄関を通り、エレベーターで9階まで上がり、病棟の1番奥にある研修医室まで行くのがお決まりのコースでした。その間には何人かの看護婦さん、患者さんやその家族、他科の医師などに会ったに違いありません。おそらくは、相手が事態を認識するよりも早くおはようございますと挨拶しながら小走りに研修医室に向かったのではないかと思います。ここまでの記憶があまりないということは、何といってもその先に待ち構えている研修医室の扉こそ私が最も重要視していたものだということを示唆しているのかもしれません。扉の前で私は一瞬止まってしまいましたが、すぐに気をとりなおして「おっはようこございまーす!」と勢いよく、しかもさりげなく入っていきました。私の頭に対する反応は予想したほどにはすぐに返ってきませんでした。

  • 毛穴の皮脂など
  • 生えなくなった髪の毛を再び生やす
  • この洗髪法です

最後の体育祭は全員が一致団結

元の髪に無理な負担がかかってしまう。

彼はよく自分の読んだ小説のストーリーを聞かせてくれましたが、私は、実際の医学の世界はどうなっているのかという舞台裏の話をしてあげました。医療の現場というものは小説に書いてあるほど大げさでないこともあれば、逆に普通の人が想像もしていないようなことも色々とあるのが本当ところです。私の話を聞くと彼はいつも事実は小説より奇なりとはこのことですねえへえー、と感心していました。また彼は仕事のことやら、「人間関係が難しくてすぐに胃が痛くなるけれども、テレクラでストレスを発散している」というような話をしてくれました。実際、彼はフランクな人なので話がはずみましたが、どういうわけか栄転することもなく、ずっと私の担当をしていてくれました。さて私のように長い間カツラをつけていると、カツラに対する眼力が養われてきます。つまり人様のカツラを見破るという、どうでもいいことが上手になってくるのです。あまり気をつけて見ていなくても、世の中には結構カツラをしている人が多いように思います。しかし信号待ちで立っているときなどに、ふと前の人のカツラに気がついた、という状況なら別に何とも思わないのですが、自分の周囲の人のカツラが世間に発覚してしまった、という場合にはさすがに動揺してしまいます。中には私に向かって「あの先生の頭、カツラだったんですって」などと言う看護婦さんなどもいたりして、そういうときには相手の意図するところがわからず、おおいに慌てたものでした。中にはある日突然、カツラをつけて私の目の前に登場する人もいました。その1人はかっての脳外科の同僚であったA先生でした。

この先生は最初は脳外科をやっていたのですが、途中でやめて、故郷に帰って整形外科にかわったのです。久しぶりにあったときの第一印象は、「あれっ、この先生はこんなに男前やったかいな」でした。よくよく見るといささか髪の毛が増えていたのです。元々、気にするほど髪の毛が少ないわけでもなかったはずですが、わずかに髪の毛を増やすことによって、以前の貧相な印象がすっかりなくなっていたのです。やがて、この先生はお見合いで美しい奥さんを迎えて、その後は幸せな結婚生活を続けているので、カツラをつけたのは成功だったのかもしれません。もっとも、この結婚式の披露宴のときには、故郷の悪友どもにカツラに関する際どいヤジを飛ばされていたので、おそらくは公然の秘密だったのでしょう。もう1人の突然カツラ組は、同じ職場の外科の先生でした。さて、このたびカツラをつけた外科のM先生は、元々前額部から頭頂部にはほとんど髪の毛がありませんでした。そして、多くの髪の薄い人がしているように、極端に伸ばした髪の毛を横から頭頂部へもってきて頭全体を覆っていたのです。ちょうど、中曽根康弘か竹村健一のよう
な髪形でした。

前項の脱毛のメカニズムをおさらいしましょう。


洗髪時に正確な抜け毛の量をカウントしてみます。

この先生の場合は、それまでの病院勤務を突然やめてビル開業をしたのですが、頭の方も突然カツラになってしまいました。しかし、あまり極端に髪の毛を増やすとバレると思ったのか少しだけ髪の毛を増やしていたのです。髪形の方も急にかえるとバレると思ったのか相変わらず竹村健一風の怪しい髪形でした。一体、世間に対して居直ったのかどうか今ひとつ判然としないので、こっちも「やあ先生、男前になりましたね!」と言うべきなのか、そっとしておくべきなのか、よくわかりませんでした。私の方もカツラをつけていることがさらに事態を複雑にしていました。
ついに結婚する9さて、そうこうしているうちに私にも人生の一大転機がやってきました。一大転機というよりは、世間でいう第2の人生のスタートともいうべき結婚であります。髪の毛を無理に増やしていた効果が出たのか、人並みに恋愛→結婚というコースを歩んだのです。お相手は同じ職場の女性で、大学の4年後輩になる女医さんです。思えば20代前半、「このまま頭が薄くなっていったとしたら人並みに結婚ができるのか」と悩んでいたあの頃から苦節数年、ついに一家の大黒柱になることが決まったのでした。やはり、これから数十年の人生を伴に歩む相手ですから、髪の毛のことに関しては本当のことを言わなくてはなりません。ある日、決心して「実はワシの頭なんやけど……」と話を切り出すと意外というか当然というか相手は知っていました。何でも、「よくできているカツラなので最初はわからなかった」ということでした。しかし、私の知らないところでいささか噂にもなっていたそうです。さきほど、結婚のことを人生の転機だとか第2の人生のスタートだとか言いましたが、本当に私にとっては結婚はカツラ人生の転機になってしまいました。しかし、このときは私の頭がその後どのような運命を辿るのか知るよしもありませんでした。結婚には当然のことながら結婚式と披露宴がついています。私たちの場合は、とある秋の日曜日の昼でありました。ここで新婦の方は朝早くから会場のホテルの美容さて、室で入念な化粧やら髪のセットやらがあるわけですが、私の方はまさかホテルで髪の毛を整えるというわけにはいきません。

薄くなったよなぁ

そこで結婚式の当日朝に中原さんに髪の毛のセットをお願いすることにしました。まさに専属のヘアスタイリストというわけです。式の時刻からすると、朝7時ぐらいから始めて、手早く散髪をしないと間に合わない計算でした。中原さんは快く引き受けてくれて、「それ私に任せて下さい。150点満点の髪の毛にしてあげますよ」でしたら、と受け合ってくれました。そこで私は彼に全面的にお任せすることにしました。ただし問題がひとつありました。散髪の方はその場でやっても時間的に間に合うのですが、カツラの点検とセットはいささか時間がかかります。この点はさすがに中原さんはブロで、すぐに解決法を考えてくれました。つまり、現在使っていない方のカツラを預けておいて前もってセットしてもらい、当日は自毛を素早く散髪したあとに予め準備という作戦です。これなら1時間もあれば十分すぎるぐらいで、式の開始にも余裕をもって間に合うはずでした。してあるカツラをつける、式の当日朝、私はアスペン·ヘアー梅田店に午前7時に到着しました。中原さんはすでに来ていて、準備をしていてくれました。やはり私のような凡人にとっては結婚式というのは一大イベントです。色々な思いが胸を行き来しました。それを察してか、中原さんは自分の結婚式のときの話をしてくれました。「実は僕、自分の結婚式のときに泣いちゃったんですよ」
「ええっ、それはまたどうしてですか?」ついにここまで来たかというのとですね、「こんなに大勢の人が白分のために来てくれたのか」というのとで、感激して自然に涙が出てきたんですよいやあ彼の話はそのときはピンときませんでしたが、後で自分の結婚式の番になると花婿が泣くという心境がよくわかるような気がしました。中原さんの努力の甲斐あって、私の頭のできあがりはなるほどよくできたものでした。わずかばかりのお礼を彼に渡した後、近い距離ではありましたが、せっかくの髪の毛が崩れてしまわないようにタクシーでホテルに向かいました。控室で会った母親には「あんた、その髪の毛、なかなかええやないの。これからずっとそういう風にしたらどう?」といわれてしまいました。式の方は万事滞帯りなくすすみました。最後の最後に私は自分自身でお客さん全員に向かって少し挨按しましたが、やはり大勢の人に自分は支えられているんだなあと実感し、中原さんの言ったついにここまで来たかという言葉を大いに噛みしめていました。


髪に良かれとおもってい

老人性色素斑の原因は日光曝露部に多発する

無事結婚式を終えた私たちは新婚旅行に出発しました。さて旅行中、妻には頭の秘密を知られているとはいえ、具体的にどういう風にカツラを頭にとめているのかというのを実際に見られるのはやはり抵抗があります。そこで私はアスペン·ヘアー特製の両面テーブ普通版および強力版、アロンアルファー、さらには頭皮掻き用の薬匙などをひとまとめにして封筒に入れ、表にさわるべからずと書いておきました。妻は中に何が入っているのかよく知らないながらも表書きの字に恐れをなして、その封筒には近づこうとはしませんでした。旅行中、両面テープをつけかえたり、癖いところを薬匙で掻いたり、カツラの前半分をめくって頭を洗ったりというような恥ずかしいことはすべて妻に隠れてコソコソとやりました。
10 遼巡結婚する前から妻は「カツラなんか取ってしまえばいいのに」とよく言っていましたが、私には想像もできないことでした。「カツラを取るのはつけるのよりも勇気がいる」とアスペン·ヘアー三宮店のオヤジに言われたことはまさに真実だったのです。しかし、妻は「カツラを取るだけじゃなくて、いっそのこと坊主にしてしまえばいいわ」とまで言い出しました。仰天するような発言です。しかし妻は全くの本気でありました。彼女によれば坊主、坊主と簡単に言っても似合う人と似合わない人がいるのだそうです。

プロペシアは男性専用の脱毛治療薬です。


育毛等ヘアケアを行って完に髪が復活しなければ

坊主の似合うのは元々頭の形のいい人で、私の場合はカツッラをしているので確信はできないが、おそらく似合うのではないか、ということでした。そういわれてから私はテレビや週刊話などに登場するいわゆるスキンヘッドの有名人を注意して見るようになりました。そしてもし自分が頭を剃ってしまった場合、どういう風貌になるのか、またどんなことが自分の身にふりかかってくるのかを想像するようになりました。いったいスキンヘッドの有名人にはどのような人がいるのでしょうか。まずアメリカのブロバスケットの黒人選手にはマイケル·ジョーダンのほかにも大勢のスキンヘッドの選手がいます。比較的眉毛が太い私は、彼等の中でも自分が坊主になったときの予想図はチャールズ·バークレーあたりかいな、と思ったりもしました。そもそも黒人は比較的スキンヘッドが似合います。ほかにはキックボクシングのヘビー級世界チャンピオンのモーリス·スミスもスキンヘッドです。この人の場合は、頭を剃っていても前額部から頭頂部がハゲてしまっているのがわかります。しかし、実に堂々としたいい面構えです。日本人ではサンプラザ中野やゲージツ家を名乗る篠原某名前を忘れたが頭を剃っています。この篠原氏には喧嘩をテーマにした本がありますが、その中で「スキンヘッドが喧嘩のキッカケになりうる」というエピソードを書いていました。これはいささか要注意です。何が原因でスキンヘッドが喧嘩のキッカケになるのかは、これから坊主にしようかと考えている人間が是非知っておかなくてはならないことでしょう。普通に考えれば、スキンヘッド野郎はいかにもコワモテ風なので、町の腕自慢に喧嘩を売られる、というストーリーがありそうです。しかし、丸ごと1冊にわたって喧嘩のことを書いているにもかかわらず、そのテのエピソードはありませんでした。実際に書いてあったエピソードというのは、男の面子にかかわるようなものでありました。ある日、篠原氏が飲み屋で飲んでいたところ、若者の一群が通りかかったときにツルッと頭を撫でて行ったそうです。そして事もあろうに「うわあ、ツルツルだ。気持ち悪い」というようなことを言われました。篠原氏はすかさずその若者にパンチをお見舞したそうです。スキンヘッドをツルッと撫でられるということはやはり屈辱以外のなにものでもありません。

  • 脱毛を抑制する働きがあります。
  • 原料として配合されている液状樹脂|整髪成分·オイル成分
  • しかも多発性で隠しようがない状態です。

弾力が不足したツヤのない髪が育ってしまいます。

犯罪が増加する

6畳ほどの狭い部屋に押し込められた10人ほどのさまざまな年代の医師たちはそれぞれに勉強したり漫画を読んでいたりしたのですが、私の頭を見て違和感を持ち、どこかおかしいぞと感じ、それからその違和感がスキンヘッドにあると思いつくまで、それぞれに数秒間の時間がかかったようです。事態が部屋の中に行き渡ったとたん、「いったいどないしはったんですか、その頭は!」「スキンヘッドなんかにして、一体なに血迷っとるねん!」などと大阪特有の遠慮のないレスポンスが一斉に返ってきました。まだ若葉マークもとれてない研修医からアメリカ帰りの中年オヤジにいたるまで、私はその場にいた人全員に格好の話題を提供してしまいました。「先生、これから夏に向けて剃りはったんですか?」「新婚早々、嫁はんに浮気がみつかったんか?」「自分も頭を剃って、こないだ手術したあの女子大生を口説こうっちゅうのと違うでしょうね?」などの質問に私はただ一言、「これは……男のケジメや」と、よけいに人心を撹乱させるような答えをしただけでした。
賑やかな連中がそれぞれの仕事にドヤドヤと出ていってから私は1人机に向かって座りながら恥ずかしさに耐えていました。しかし、いつまでもこうしているわけにはいきません。気をとりなおして廊下に出ていきました。私の頭を見た人々の反応はさまざまでした。廊下ですれ違った患者さんは「オッ、先生。剃りはったんですか!」などと言います。

また私と向かい合って検査の手順の打ち合わせをしていた看護婦さんは10秒ぐらい経ってからようやく私がスキンヘッドになっていることに気づいてあらー、先生!などと驚いたりしました。また他の科のドクターの中にはあまりにも礼儀正しいせいか、スキンヘッドに気がつく→驚く→しかしそれを口に出すのは失礼なので知らん顔をする、という行程を瞬間的にこなして何食わぬ顔で私と話をするという人もいました。しかし私の頭が研修医室のみならず、すれ違う人すべて、もっといえば病院中の人に話題を提供してしまったのは事実のようでした。取り敢えずスキンヘッド騒ぎが脳外科病棟に行き渡って一段落したであろう昼前ぐらいに詰所の前に立っていると、反対側の廊下から主任教授がブラブラ歩いてきました。-体何て言われるやろうかと狼須した私の心を見透かすように、横に立っていた研修医の1人がプロフェッサーはスキンヘッドのこと、どうお「ありゃつ、この頭のこと、思いになるでしょうね」と私をつっつきました。教授は私達の前を何事もないかのようにブラブラと通り過ぎていきました。私が「スキンヘッドが目に入らなかったんかな?」と不審に思っていると5、6歩ほど行ってから突然振り返り、「笹生、なかなか涼しそうな頭になったやないか」と言われました。見ていないようで見られていたようです。病院の他にもあちこちで知っている人に会うたびに何かと頭のことを言われ、またそれに対して言い訳をしなくてはなりませんでした。しかしこちらから積極的に会いにいった人も1人だけいます。 それはアスペン·ヘアーの中原さんでした。先に注文しておいたカツラのオーダーを取り消さなくてはならないし、この機会にスキンヘッドも披露しようかと思ったのです。彼は大阪府内の支店の支店長になっていたので早速行ってみました。中原さんの支店は今までに見たどこの支店と比べても美しく立派なものでした。全くのツルッパゲの私がこの店に入るというのも妙な気がしました。

降圧剤として開発されていた薬


今回書いた洗髪法で気持ちよく血流を良くして髪を太くしていけばいいかと思います。

実際、受付の女性に店長に話があると言ったときには、彼女は半ばパニックになりかけていたように思います。ちょうど中原さんがタイミングよく現れたので私はほっとしました。彼は「いやあ、本当にスキンヘッドにしたんですねえ」
と驚いていました。「実は前には言わなかったんですがね、お客さんの中で時々カツラを取っちゃう人もいたんですよ。でも本当に剃ってしまったのは笹生さんが初めてですよ」と変な感心のされかたをしました。さて実際にスキンヘッドにしてみますと人の目が気になる以外にはこれといって不便なことは何もありませんでした。当然といえば当然のことです。一体どのぐらいの期間が経てば頭のことが気にならなくなるのか、というのが問題です。人の噂も七十五日といいますが、このクソ忙しい世の中ではせいぜい1ヵ月もすれば誰も何も言わなくなります。あたかも以前から坊主だったかのように自分も周囲も錯覚してしまうのです。しかし、時にはあらためて自分がスキンヘッドであることを意識させられて恥ずかしく思うこともあります。これは頭を剃る以前には想像もしなかったことですが、大別すれば2つのパターンがあります。ひとつは久しぶりに知っている人に会ったときのことです。1、2ヵ月の間に自分の方はすっかりスキンヘッドに慣れたつもりであっても相手はそうではありません。いきなり相手の度肝を抜いてしまうこともあります。またその場合に何故スキンヘッドにしたかという気の利いた理由らしいものも用意しておかなくては相手は容易には納得してくれません。

という育毛剤です。

ここでモタモタしていると忘れていたはずの恥ずかしさが再び込み上げてきたりもします。さらに事態を複雑にしているのは人の噂の広がる速さと範囲です。よもやと思う人までが私がスキンヘッドにしたことを知っていたり、したり顔で「ついに取ってしまったんやてなあ、その方がええで」とズバリ核心をつかれてうろたえてしまったり、ということもありました。もう一つ恥ずかしいパターンというのは他のスキンヘッドの人間に出くわすことです。不思議なことですが大勢の中で自分1人がツルツルというのは実際のところあまり気にならないものです。しかし、道の向こうからスキンヘッドの男性が歩いて来てすれ違うときなどにはお互いに何となく恥ずかしい思いをします。というのは、よく注意して見るとこれらの人々の90パーセント以上が髪の毛の薄いのを誤魔化すためにスキンヘッドにしているのがわかるからです。外を歩いているときなどはまだ良いほうで、何かの会合で部屋の中で私の他にもう1人スキンヘッドの青年がいたときには最悪でした。逃げ場のない場所で鏡に写った自分自身の弱みを見せつけられているようで大そうきまりの悪い思いをしました。ところで散髪の方ですが、最初の頃は髪の毛が伸びるのが比較的遅く、週1回ぐらいの割合で妻がバリカンで剃っていました。


髪の長さや髪型についても多くのスタイルが存在します。

薄毛におトラブルの女なら一度は目にした事があるでしょう。

このバリカンは今治の散髪屋さんが推薦してくれた特別製のものです。また大学病院の中の散髪屋でやってもらうこともありました。値段は確か1回1300円ぐらいだったようです。最初のうちは妻もその手際を見て「さすがは本職の床屋さん、上手ねえ」
などと言っていましたが、妻の方も徐々に腕を上げ、ついには坊主に関してだけは自分の方がうまくなってきたと思うようになりました。道具も色々工夫し、次第に散髪に要する時間も短くなってきました。結局、道具としては2枚刃の男性用ヒゲソリがベストという結論に達し、何と5分前後の時間でささっと剃ってしまうようになったのです。カツラを取ってしまってから少し残っていた髪の毛がだんだん元気になり、まるでヒゲのような勢いで伸びるようになってきました。といっても、持定の場所には全く髪の毛が生えてこないのでハゲそのものの解決にはなりません。それどころか、以前は週1回で済んでいた散髪を毎日する必要すら出てきたのです。本人には見えないからいいようなものの、妻にしてみれば髪の毛の生えている場所と生えていない場所の境目がすぐにクッキリしてくるので気が気ではなかったようです。こうなると時に困った事態が起こります。たとえば学会出張などで私が上京する時などです。行き帰りの日には人に会わないからいいとしても、滞在中は散髪なしで済ますわけにはいきません。ことに自分が何か発表する日などは大勢の人の目にさらされるわけですどうしても散髪が必要になります。宿泊先のホテルに落ち着いてまずから、やるべきことは、近くの散髪屋探しです。また妻の方も学会に出席することがあります。

どうやら私に不足していたのは髪の毛だけでなく


風で髪の毛が飛んで行って

1度、妻が学会出張で1週間も留守をしていたことがありましたが、一体どうしたものか、私はおおいに困りました。このときは、あいにく大学附属病院の方も引っ越してしまっていて、例の散髪屋さんがやめていたのです。とにかく私は家の近所で散髪屋を探してみました。ちょうど近くに1軒、散髪屋のような美容院のようなものがあったので値段を聞いてみることにしました。店ではパンチパーマのオヤジが髪の毛を染めたツッパリ高校生の髪を切っていたところでしたが、私がつかつかとこの店に入っていくと、それぞれに何かやましいところでもあるのか、2人とも狼狽していました。オヤジはそれでも必死に「今日はもう閉店ですねん」とか何とか頑張っていましたが、私は値段を聞くのが目的なので、「スキンヘッドはいくらですか?」とできるだけ丁寧に尋ねました。しかし言葉の選び方がちょっと悪かったのかもしれません。剃りはやってませんねん。わ、悪いけどそ、とオヤジに断られてしまいました。というわけで自分で剃らざるをえなくなってしまいました。ヒゲを剃るというのは高校生以来ずっとやっていますが、自分で自分の頭を剃るというのは初めてです。鏡を2枚使って、合わせ鏡で自分の頭を観察しながらヒゲソリで剃るわけですが、当然うまくいくはずがありません。1時間近くかかってようやく剃り終えましたが、ずっと鏡を持ったりヒゲソリを持ったりしていたため腕が随分だるくなってしまいました。他に選択の余地がない私は毎日、毎日自分で剃っているうちについに鏡なしで、しかも10分ほどで大体剃れるようになったのです。出張から帰ってきた妻は私の頭しかし、を子細に点検したあと、
「剃り残しているところもあるけど、思ったよりうまくできているわ」と合格点をくれたのでした。
13 スキンへッド、アメリカへ!平成6年夏、私たち夫婦はアメリカにやってまいりました。外国で2年間、医学の勉強をするためです。妻はこちらの大学の修士課程に入学し、私はある病院の研究室に入りました。私のスキンヘッドが異国の人達の目にどのようにうつるのか、正直いって不安がいっぱいでした。元々、何事もシンプルでストレートなお国柄ですが、こちらに住む日本人、アメリカ人の反応は様々でした。面と向かって私に「ナオは何故スキンヘッドにしているんだ」

  • 薄くなってもいない。
  • 薄毛·抜け毛·搾み·フケ
  • ホルモンバランスの面からも育毛に影響的だと言われています。

私は手術よりも髪の毛を切ることの方が嫌よ!

切れ毛を回避する方法メタボ髪から守るには?

を見てください。そうです。四本の親指以外の指がくっついていますね。サージをしていきます。その時の手の形その手でマッ四本の指の腹を使います。爪を立てないでください。 そしてここからが肝心です。ちょっと汚い話になりますが、「ニキビ」はだれしもできたことがありますよね? そのニキビをつぶした事も一度はあると思います。じつは、頭皮マッサージもそれをイメージしてやっていきます。そして小さく円を描くように採み挟んでいきます。 それを両手の四本の指でつねるように頭皮をギューーー!!と挟んでいきます。痛くない程度にです。ではそのマッサージをまずはフェイスラインの左のこめかみの上から始めます。そしておでこの上、そして右のこめかみの上へといきます。ていきます。と後ろはそんなにマッサージはいりません。生え際と頭頂部をメインにマッサージしていきます。ないかと思います。 以上が横山式マッサージになります。それをだんだんと後頭部の方へと進め頭蓋骨の横の部分と後ろのネープ 部分ハチ下のよこここでポイントです分程度が目安ですが、これだけでもすっきりとするような感覚があるのでは
その7目的意識なにごとも最終的にはやり通す力「継続力」は必要不可欠になります。日で良くなるものではありません。養を基に一定のスピードで新しい細胞と入れ替わっています。活をしていても,健康は食事によっていくらでも作り替えることができます。私たちの体を形づくっている六十兆の細胞、栄つまり今がどのような食生一般的に血液は百~百二十日間で全て入れ替わると言われています。

薄毛の影響を受けにくい

そうすると3ヶ月から4ヶ月後最後に伝えたい事は、私たちの体は本当に良に体感として現れてくる事が予想できます。く創られています私は外部的な要因だけではなく、【脳】の潜在能力も活用していく事でより、相乗効果がえられると考えています。に付け加えて【言葉】としてイメージしていきます。 例えば、髪が生えてきた! 「根元のボリュームが出てきた!」「髪質がとても締麗になった!」と具体的に言葉にしてイメージする事です。そんなの効くのかよ!と思ってる方もいると思いますが、最近の脳機能の研究では、思考したり言葉を発する時に脳が部分的に活動している事が解っています。 考える事で、脳は反応しているのです。 病は気からと言いますが、思い込む事で脳はその方向へ向かい活動していくという事です。つまり、どういう事かというとイメージする事です。それこの理論を応用し、理想の髪を毎日イメージする事で、結果へと結びついていくという理論です。 ぜひ、いつまでも若々しく人から羨まれる髪を手に入れましょう! 同窓会で雲泥の差がつきます。美容は筋トレと同じですよね。男性·女性の美は「意識」によってつくられると思います。

 

結婚する人が薄毛だと嫌だなと考えている女性が大多数います。

を育ててしまいます。

見た目の顔のバランスだけでの美しさは十代で終わりです。本当の内面的な意識による「美」こそ人間を美しく成長させていくのではないでしょうか? 外面的な「美」と内面的な「心美」を健康と幸せで一緒に手に入れましょう!
カツラとの出会い1現在、私の頭は完全な坊主です。今風の言葉でいうとスキンヘッドということになりましょう。勿論、36歳の私がこの歳で髪の毛が一本も残らず脱けてしまったわけでもなければ、出家してしまったわけでもありません。要するに完全に剃ってしまっているわけです。私は現在アメリカに住んでいますが、日本と比べて種々雑多な人々が暮らしているこの国でも東洋人のスキンヘッドはかなり目立ちます。おまけに私は身長が186センチあり、アメリカでも大柄な部類に入るので余計に人目をひくようです。地下鉄に乗っても、大人の人は見て見ぬふりをしていますが、子供達はまん丸な目でジロジロと私の頭を見て、私と視線が合うと急に目をそらせたりします。職場で初めて会った人に紹介してもらうときでも、以前に何回も見たことがといわれることがあります。一度なぞは初対面の中年日本女性にある、「先日、ブルックラィンでお見かけしましたわよ」と言われたこともありました。何故、完全に頭を刺ってしまっているかというと、これには深く、長い理由があるのです。それをこれからお話ししましよう。その人が神戸の私たちの家にやってきたのは昭和58年の秋、私が24歳の時のことでした。身長160センチぐらいの小柄な中年のその男性は私に約束がある、とかで名前も名乗らずいきなり玄関に入ってきたのです。

医薬品として処方される育毛剤と同等の発毛影響が見応対に出た母親と私はびっくりしていたのですが、彼は玄関の扉を閉めてから、あたりをうかがうようにして○○から来た者ですと名乗ったのです。○○というのは誰でも知っている大手カツラ会社の名前ですが、これではわかりにくいので仮にアスペン·ヘアーとでも呼びましょう。実は20代前半にして頭の毛がかなり薄くなってきていた私は、その数日前に雑誌の広告を見てアスペン·ヘアーに資料請求の葉書を出していたのでした。もちろん、真剣に買うつもりもなく、一体いくらぐらいの値段がするものなのかという興味から、おもしろ半分に葉書を出しただけでしたが、資料の代わりに人間がやってきた、というわけです。浅川さんと名乗るその人とどんな話をしたのか今となってはよく覚えていません。気がつくと彼は私の頭にビニールの袋をかぶせ、上からセロテープをたくさん貼って型をとっていました。意外に思われるかもしれませんが、こうすると簡単に頭の型をとることができるのです。その後、マジックで薄くなっている部分に印をつけ、最後にサンプルとして私の髪の毛を数本切り取りました。注文してからカツラができるまでは数週間かかるということでした。値段は確か4、50万円はしたと思います。これをどうやって頭にとめるかということですが、それにはカツラの裏についている金属性のピンを使います。この4本のピンで髪の毛をはさんでパチン、パチンととめるわけです。こうするとまったくずれることもなくうまい具合に頭にとまります。
このようにして型をとった後しばらく世間話をしていたのですが、突然私の母親が「浅川さん、あんたもカツラをしているのと違うの。いっぺん取ってみなさい」と言い出しました。日本の大手男性用カツラメーカーのセールスマン自身が実はその会社の製品を使用しているというのは、雑誌か何かの宣伝で読んだことがありますが、実際に目の前にいる浅川さんはどこから見ても不自然な髪の毛ではなく、まさか違うだろうというのが私の実感でした。しかしながら、浅川さんは「うーん、普通は滅多に取らないんですが、いいでしょう。お見せしましょう」パチンとカツラをはずしてしまいました。そこに現われたのは見事にテッペンがハゲあがっている頭でした。そのテッペンのハゲている部分をピシャッとと言って、パチン、叩いて、ホレこのとおりと彼は言ったのでした。
頭皮の 毛穴に老廃物が溜まりやすくなってしまいます。
頭皮の 毛穴に老廃物が溜まりやすくなってしまいます。

薄毛の心配を克服可能な事

髪の毛にまでタップリ泡を付けてしまってそれを見た私は、なるほどこれはよくできているわい、と改めて思いました。さて、実際にカツラを注文してみるとできあがるのが待ち遠しくてなりませんでした。当時、わたしは医学部の6年生でしたが、クラスの中では三大ハゲとして有名でした。もちろん、医学的に見て髪の毛が少ないということと、健康か不健康かということは何の関係もないことです。私自身も、髪の毛が少ないということについては普段何の不自由もありませんでした。しかし、やはり年頃の独身男性として「こんなことでは女性にモテない」、あるいは「ワシがモテへんのは髪の毛が少ないからや」などと悩んだりもしたわけです。髪の毛が少ないことをギャグのネタにすることもありましたが、「これから先、どこまで減っていくんやろう」「ハゲにもまともな嫁さんが来るのやろか」と思うこともありました。しかし、気楽な学生時代です。私は周囲にカツラをつけるということを隠すつもりは毛頭ありませんでした。突然髪の毛が増えても単に新たなギャグになるだけです。そんなわけで周囲の友人達には、「もうすぐ、カツラができるからな。そうしたらワシは女にモテまくるで一」と言っていました。初めてカツラをかぶったのは昭和58年の年末だったと思います。いざカツラをつけて鏡を見ても、少し増えたかなあという程度で、そう不自然な感じはしませんでした。そもそも、まだ悩んだりしているうちは薄くなったとはいっても髪の毛も結構あったりするわけです。これをかぶって学校に行ってみましたが、最初に会った友達は、しばらく話をしていてようやく気がつきました。次に会った友達はこちらから言うまでは全く気がつかない上に、言ってからもしばらく疑わしそうにしていました。調子にのった私は三大ハゲの残りの2人を呼んできて、新しい髪の毛を実際にかぶったりはずしたりして自慢しました。残りの2人は
ようできとんなあーと言いながら自分達でもかぶったりしていました。私は思っていたよりも万事うまく行ったので大満足でした。家族の反応はどうだったでしょうか。まず父親ですが、私と母親はカツラのことは何も知らせていませんでした。わかっているのかわかっていないのか、彼はカツラのことに関しては全く何も言いませんでしたが、一週間ほど経ったある日、食事中に突然それはカツラか!と私の頭を指さして驚いたのです。

使う量を増やしても相変わらずで新しい商品にチェンジ

そして、母親に「あんた今頃、何ゆうとんねん。ニブいやっちゃなあ」と馬鹿にされていました。また私には3歳年下の弟がいます。彼は高校時代、頭がハゲるのではないか、という妄想にとりつかれて、いっとき肌身離さず「髪乃素」をもっていたことがあります。その後妄想から立ち直ったのですが、私と違って髪の毛にも服装にも気を配る人間でした。彼はちょうどその頃ケガをして入院していました。大学の帰りにお見舞いに行っても何も言っていなかったので、これは父親同様、何もわかってないなあ、と思っていましたが、あとで聞くと「見た瞬間わかったけど他にお客さんもいたので黙っていた」と言っていました。そんなわけで滑り出しは上々でした。私は毎日朝起きてカツラをかぶって学校に行き、帰ってきたら家の中ではつけっばなしのこともあれば、はずしていることもある、という生活を送っていました。論、寝るときははずすし、風呂に入るときにはカツラをはずして専用のシャンプーで洗っていました。当時はまだ人様にどちらの頭を見られてもさほど抵抗はありませんでした。しかし、カツラをかぶった生活に慣れるにしたがって、除々にカツラに依存していったのは否めません。
2 周囲の疑惑と戦う医学部を卒業すると同時に私は麻酔科に入局し、大学附属病院で新人の医師としての研修を始めました。社会人として新しい職場に入り、新しい人間関係を築くというのはカツラをかぶった人間としてはまことに好都合でした。同級生で、引き続き同じ職場で働く人間は2人だけであり、彼等もあえて私がカツラをかぶっているということを言うことはありませんでした。さらに麻酔科というのは大体1日中、手術室で勤務しており、手術室用の帽子とマスクを着用しているので、人から髪の毛を見られるということもあまりありません。濡れて柔らかくなった髪と枕が擦れ合う摩擦

髪にも栄養が行き届きにくくなります。

手触りの良さを求めるほど失われる毛髪の自然治癒力

太古の昔、人間がまだ海にいたころの感覚にひたりながらひと泳ぎして、ふと顔を上げてみると、何とサインが出ているではありませんか。あわてて、しかもできるだけ自然に髪の毛を直しました。またひと泳永ぎして顔を上げて何気なく残りの2人をうかがうと再びサインが、しかも両方から独立して、出ているではありませんか。またしても髪の毛を直して、ひと泳ぎ……などとやっていたのですが、全くキリのない話でした。残りの2人は、私が危機に見舞われるたびに律儀にも毎回サインを出してくれたので、泳いでいるあいだは勿論のこと、みんなでビーチボールで遊んでいるときですら、ボールを打っては鼻に手を当て、ボールを打っては咳払いをし、もちろん私の方はボールを打っているときですら反対側の手は常に頭にいっている、という具合でした。こんなわけで、プールに赴くときの私を「必勝」というなら、帰るときの私の気持ちを何と表現したらいいのでしょうか。一敗地にまみれたというべきでしょうか、敗軍の将、兵を語らずでしょうか。誰かの言葉に「ハンディキャップというのは克服するものではなく、利用するものである」という格言がありますが、この当時の私にはハンディキャップを利用するどころか、克服することすらできませんでした。この世はおしなべて搾取構造、あるいは人の弱みにつけこむ構造になっているように思いますが、後にカツラを通じて多大なる搾取をされてしまう私は、この当時は別のことで弱みにつけ込まれていました。それは何かというと、いわゆる育毛剤であります。これはもう、はっきりと育毛剤とうたったものから、髪の毛によいという触れ込みの何やら怪しげな、そして馬鹿高い値段のシャンプーセットまで色々でした。そして、何か親のつかいで町の薬局に行ったようなときでも言葉巧みに店員に育毛剤を勧められるという具合でした。これら育毛剤の中でよく覚えているのは、ある週刊誌の記事で読んだ薬のことです。これは広告ではなく、普通の記事の中に出ていたのですが、高血圧の薬を開発中にドイツの製薬会社が偶然に見つけた、という育毛剤です。

頭髪全体は順調に濃くなっていると感じます。


薄毛をすべて笑いに変えてしまう彼の持ち前の明るさでしょう。

>小さな髪の毛が生えてきてこの薬はハゲの原因の一つとされる男性ホルモンの作用を弱くする5アルファ還元酵素阻害剤の一種で、理屈からすれば確かに医学的には何らかの効果があるはずなのです。これはどこかで売っているはずだ、と思って色々探してみたのですが、随分マイナーな薬らしくなかなかみつかりませんでした。結局、大阪では天満にある薬局だけが扱っていることがわかりました。この薬こそが私の人生を根本的に変えるかもしれない、などと思いながら喜んでさっそく出かけてみました。所番地を頼りに行ってみると、随分場末にある小さな薬局です。入口のガラス戸には例によって更年期に効く漢方薬だとかだとか、果てはぢを肩こり、冷え症に治すだとか、ある意味では不気味な貼紙がたくさんしてありました。「こんな薬局で大丈夫かいな」とも思ったのですが、「いやいやどこで売っていても効くものは効くは
ず」とも思って中に入ることにしました。「あのう、ナントカカントカという名前の薬のことで」と言うや言わずのうちに、初老の店の主人がすぐに「ハイハイ、まあ掛けて下さい」と言ったのは、その育毛剤が売れ筋だったからというよりも、口にする前に私の用件を察知したからかもしれません。とにかく育毛剤を手に入れたらすぐに帰って頭につけてみるつもりだった私は椅子に座らされて、延々、主人の講釈を聞くはめになってしまいました。そして、その親父はいつごろから髪が抜け出したか、とかどのような性状のフケが出るかを根掘り葉掘り尋ねて記入していくのです。たぶん、製薬会社何やらカルテと称するものを出してきて、か何かのアンケートのようなものだと思うのですが、あまりにも時間が長くかかったので私はイライラして、思わず「要するに5アルファ·リダクテース·インヒビター(還元確かに医学的にも辻つまが合うので酵素阻害剤を英語ではこう呼ぶ)なんでしょ買いにきたんですよ」!とか何とか言ってしまったのです。店の主人はしばらくあっけにとられていたようですが、すぐ気をとりなおして「それじゃあ、薬効の方はよくおわかりでしょうから、省略しときます」と言ってようやく講釈を終わってくれました。しかし、値段の方は省略してもらえず、8000円ぐらいはふんだくられたように思います。さっそく家に帰って、頭につけてみたのですが、匂いも悪くありませんでした。この「匂い」というのが育毛剤には結構大切で、何しろ毎日つけるものですから、あまりにも悪臭だとか、あまりにも独特の匂いでは良くありません。たとえば某有名育毛剤なんかは独特の匂いなので、つけている人のそばによるとすぐにわかってしまいます。髪の毛の少ない人の心理として、ハゲている状態もさることながら、それに対して悪あがきをしているのを他人に知られる、というのも同じように耐え難いわけです。しかし、他の育毛剤と同様、せいぜい2週間ぐらいつけただけで、いつのまにかつけなくなってしまいました。これは単に私が怠慢で中途半端な人間だったからです。結局のところ、どれが私に向いた育毛剤やら、どれが無効だったのやら、何もわからずに終わってしまいました。多分、ハゲている人にこういうキャラクターの人は多いのではないでしょうか。この人の髪の毛は危なそうだな、と思う人に限って何も髪の毛の手入れをせずにボサボサということがよくあるように思います。私自身も、ちゃんと人並みに髪の毛の手入れをしていれば、ここまで早くハゲることはなかったのかもしれません。
6 カツラにするとモテるのか?


薄毛に悩む方

神戸方面の営業事務所を兼ねた散髪屋になっていました。ただの散髪ではありません。

その後も満足に栄養が行かない髪話をその後のカツラ人生の方に戻しましょう。「果たしてカツラにしてから人生は変ったのか?」というのが、これを読んでいる人々の疑問ではないでしょうか。もっと簡単に言えば「カツラを乗せてから女の子にモテるようになったんか?」ということになりましょう。これは単純明快に答えるのは結構難しい質問です。が、あえて簡単に言いますと、答えはイエスであります。カツラをかぶっていた当時、私が同年代の男性よりモテていたかどうかはわかりません。しかし、カツラをかぶるようになってからの私が以前の自分に比べてモテるようになったことは事実です。あまりよく知らない女性からいきなり電話があったり、手紙が来たり、突然セーターが送られてきたこともありました。また、病院の皆で飲みに行ったときに看護婦さんの1人に「私、先生の電話番号を教えてほしいの」と言われたこともありました。このときは不幸にも電話をつけたばかりで番号を覚えていなかったので教えることができませんでした。普通ならすぐ後にフォローするはずですが、ついそのまま放置してしまったのが私の性格をよくあらわしています。あるときなどは、なぜか職場の女性2、3人といっしょにバスタブのショールームで見本を見ていたのですが、私が「こんなわけのわからん形のバスタブに入る人がいるんかねー」


になると毛母細胞の分裂が弱と言ったら、いっしょに見ていた女性の1人に「私、先生と一緒だったら入ってもいいわ」とそっと帰かれた!!こともあります。しかし、残念ながらこのときもそれだけに終わってしまいました。というのは、今から帰くぞという予告でもあれば何か気の利いた、しかも効果的なセリフでも用意しておくところですが、突然言われてもあっけにとられてしまうだけです。もっと人生修行を積んだ人間なら、遅ればせながらも電話するなりして彼女の期待に応えるということもありましょう。その場で段取りをつけるぐらいになれば、これはもう達人の域といえるかもしれません。カツラをつけて人並みの青春を送っていた反面、心の中では世間に対して嘘をついているという罪悪感が常にありました。本当は頭がハゲとるのに、カツラで誤魔化しとという意識です。一方、「20代でこんなにハゲてしまうことの方がおかしい。本当はもっと髪の毛がフサフサしていて普通なんや。カツラをつけるっるのはフェアやない」ちゅうことは本来の自分に戻るだけやないかという気持ちもありました。このような心の葛藤はよく夢の中に出てきました。カツラがなくなってしまって恥をかき、ハゲ頭
をさらしながら大勢の人間の前でそれを探しまわる、というような夢を何十回見たことかわかりません。そういえば、年末によく放送される「爆笑!スポーツ名場面、珍場面」というような番組で、試合中にカツラがはずれてしまったテニスの選手を見たことがあります。彼は難しいボールに飛びついた拍子にカツラを飛ばしてしまったのです。その瞬間、観客に気づかれはしなかったろうか、という表情で彼は周囲をうかがってから、さりげなくカツラを拾ったのです。そんなもん、観客は1人残らず気がついたに決まっていますが、それでも周囲をうかがうところがカツラを使っている人間の心理をよくあらわしています。そういう私も一度、本当にカツラがはずれてしまったことがあるのです。大学を卒業したばかりの頃、私は週1回、大阪府内の公園のプールの医務室でアルバイトをしていました。医務室にやってくる人の大半は擦り傷か、プールの消毒薬で目が痛くなった人達です。ベテランの中年看護婦さんが勝手に消毒したり、Vロートを点眼してくれるので私は何もすることがありませんでした。そんなわけで、私は勤務時間の間はもっぱら泳ぐか昼寝をするかしていました。


頭皮の毛穴が詰まってしまい抜け毛の原因になるのです。

ここのプールでは私達の他にも水面監視のアルバイト学生も何人かいましたが、彼等は皆、日に焼けたたくましい体つきの青年で、ブールサイドの高い椅子に座って溺れるものがいないか見張っていたり、水温を計ったりするのが仕事でした。プールの方は昼間は賑わっていますが、私が出勤する午前9時頃は殆どお客さんはいません。そこで、誰もいないブールを1人で独占して泳ぐわけです。私が1人だけで泳いでいても水面監視のアルバイト学生はテントから出てきてブールサイドの椅子で律儀にも見張りをしていました。事件はその監視人の目の前で起こったのです。気持ちよく泳いでいた私は、つい調子に乗ってブールサイドから飛び込みをやってしまったのです。バシャーンと水の中に飛び込んで、バシャバシャと泳ぎかけた私は何故か急に額のあたりが涼しくなったような気がしました。立ち上がって頭頂部に手をやった私は、本来そこにあるべきものが無くなっているのに気がついたのです。いや正確にいうと無くなっていたのではありません。5カ所で止めてあるうちの最も重要な1番前のピンが飛び込んだ勢いではすずれて、カツラの前半分がとれて裏返しに折り返されていたのです。「ぬぬっ、これはもしかしてアルバイト学生に目撃されたかもしれマズイ。などと思ない」いましたが、水面監視人の様子を見る勇気もなく再び水の中に潜替りました。泳ぎながらはずれたビンをつけ直し、そのまま反対側からプールを出て、何食わぬ顔で医務室に戻りました。全く、カツラにとって水は大敵です。さて、カツラをしている人間は他にも思いがけないところで注意しなくてはなりません。経験のない人にとっては考えもしないことでしょうが、服を買うときなどにも注意する必要があるのです。百貨店などを歩いていてよさそうなセーターが目についたとしても、それがVネックであればいいのですが、首がつまっているようなタイプだと買うのをあきらめなくてはなりません。

上の髪で見えないようだ

その金額がかかり続けるという事です発毛サロン業界最大手セーターを脱いだとたん髪の毛も取れて、まわりの人をびっくりさせかねないからです。さらに注意しなくてはならないのは遊園地です。ジェットコースターなどに乗ると、頭に当たる風の勢いでカツラが飛んでいってしまうかもしれないのです。実は私はこれでエライ目に遭ったことがあるのです。
本来その日は遊園地に行く予定などありませんでした。しかし、お相手の女性が遊園地に行きたがったので、つい「遊園地なんか怖くないぞ!」とわけのわからない意地を張ってしまったのです。でももうあとの祭です。なぜか私は遊園地の入口に吸い込まれてしまいました。さらに悪いことには、その女性は何故かスリリングな乗り物がお好みのようでした。でも、彼女が「フライング· カーペットに乗ってみましょう」と言ったときにはまだチャンスがあったはずです。「いやあ、どうも僕はこういうのに弱くって」という言い訳をして逃れてもよかったのです。事実私は乗り物酔いが激しく、子供の頃からバスが苦手でした。しかし私は愚かにも「フライング·カーペットだろうが何だろうが、怖くないぞ!」という意地を張ってしまったのです。確かに泣こうが叫ぼうが時間が来れば乗り物は止まります。しかし、風で髪の毛が飛んで行ってしまったら、私の立場はどうなるのでしょうか。いろんな意味で取り返しのつかないことになるのは目に見えています。そのことを恐れた私は取りあえずトイレに行って髪の毛の点検をしました。5つのピンをもう一度しっかり止めなおしたのですが、どうも最近、前額部がさらに薄くなって髪の毛を挟んで止めるピンがいくら頑張ってもしっかり止まらなくなっていたのです。前後にずらしたり、左右にずらしたりしてみましたが結局、少し緩いままにきており、しておかなくてはなりませんでした。覚悟は決めたものの、これという対策もなく私はフライング·カーペットに乗り込むことになりました。これは4、50人ほど人を乗せて縦にグルグルと回る乗り物です。外から見ている分にはさほど怖そうには見えませんでしたが、いざ乗るとなるとメガネや持ち物は飛んでいってしまわないように預けなくてはなりませんでした。思わず頭のテッペンは大丈夫だろうかと心配してしまいました。さて、座席に座ると安全ベルト代わりの鉄のバーが膝の上にガチャンと降りてきました。万が一のときでも人間がカーペットから放り出されないように、ということです。前の座席の背もたれの手すりをしっかり握るとカーペットがおもむろに動き始めました。ゆっくりと高いところまで上がって行きます。頂点で一旦ピタリと止まったときには予想よりも随分高いところに来てしまっており、「こりゃあちょっとマズイぞ」という気がしてきました。つかのまの静止の後にカーペットは地面めがけて落ち始めたのです。周囲からは「キャーツ」という悲鳴が上がっています。私は無意識のうちに右腕で手すりを抱え込み左手で頭頂部を押さえていました。万ーカーペットから体が放り出されても困るが髪の毛も放り出されたら困る、という私の立場からすれば他の姿勢は取りようがなかったのです。「グオオオオオ、グオオオオオ」という不気味なうなりを上げてカーペットは前に回ったり後ろに回ったりします。

薄毛の原因が皮脂っていう

社会的に薄毛治療が認知されてきた証拠でもあります。

突然止まって「これで終りか、ャレヤレ」と思わせておいて、また動き出すという細かい芸もありました。周りの人たちは「もうええ、もういらん。はよ降ろしてくれ!」などと叫んでいます。私は相変わらず右腕で手すりを抱え込み、左手で頭頂部を押さえる奇妙きてれつな格好です。人から見れば「何でこの人の体は斜めになっているの?」と思われたに違いありません。不思議に恐ろしいという感情もなければ、気分が悪くなることもありませんでした。とはいっても周囲の景色を見る余裕もなく、ただ前の人の
背もたれの板を脱んでいただけに終わってしまいました。ようやく本当にカーペットが止まる頃になってから、私はさりげなく左手を膝に置き、背筋を伸ばして自らを取り繕いました。「まさか隣に座っていた女性は私の奇妙な格好に気がついていなかったろうな」と思いましたが、彼女は私の方をチラッと見て「片手を上げているなんて余裕でしたね、先生は」と謎の発言をしただけでした。遊園地といえば、別の日にも職場の何人かと行くことがありました。この日も最初は遊園地に行くことにはなっていませんでした。しかし、それは単に私が知らなかっただけで、3台の車は一直線に生駒山の山上遊園地に向かって行ったのです。この日は私も虫が知らせたのか予めアロンアルファーで補強していたので大丈夫でした。アロンアルファーで補強すると、はずすときに頭の皮まではがれてしまうだろうと心配されるかもしれませんが、これは少し説明をしておかなくてはなりません。

M字のあたりの産毛も濃くなっている気がしますし。


薄毛を克服できた瞬間

>そこの部分の毛がひっぱられてだんだん薄くなってきます。前額部の髪の毛がどんどん薄くなってピンで止められなくなった私は、アスペン·ヘアーの人の勧めにしたがって、この部分のピンをはずし、カツラの人工皮膚の部分と自分の皮膚を両面テーブで接着することにしました。こうすると多少はずれやすくなりますがピン特有の地肌から浮いた感じがなくなり、よりカツラとの一体感を得ることができます。色々な事情で特にしっかり止めたいときにはこの両面テープと地肌との間をアロンアルファーで接着してしまうのです。どうしてテーブと地肌の間かというと、もし前額部でカツラがはずれるとすれば、それはカツラの人工皮膚とテーブとの間ではなく、テープと地肌との間だからです。つまり自然の皮膚は汗を分泌したり、角質の脱落(フケ)があったりで、どうしてもテーブとの間がはずれやすくなるのです。したがってここをアロンアルファーで固めておけばよほど強い力が加わらない限り、はずれることはありません。しかも本当にカツラをはずしたいときには、端を持ってうまく引っぱれば、さほど痛い思いをすることもなくはずすことができるのです。
7 人には言えない苦労さて、この当時は私は大阪府の南の方にある某病院の脳神経外科に勤めており、河内長野市に住んでいました。以前から通っていた関係でこの頃も月に1回、カツラの定期点検と散髪をしてもらっていたのはアスペン·ヘアーの三宮店でした。カツラをつけはじめた最初の頃は「今週の週末あたりそろそろ散髪に行こうかなあ」と思ってから電話をして土曜日の午後か日曜日の散髪の予約をとることが簡単にできました。ところがこの店もだんだん繁盛してきだしたのか、予約を取るのが難しくなってきました。やがて、少なくとも前の週に予約を取らなくてはならなくなってきました。こうして苦労して予約をとっても河内長野から神戸までエッチラオッチラ電車に乗って行く途中にポケットベルが鳴り、救急患者やら何やらで容赦なく病院に呼び出されることもあります。そうすると改めて予約を取らなくてはならないので再び散髪が2週間後になったりするわけです。もう仕方がないので、風呂に入ったときに自分で髪を切ったりしたこともありました。やはりそんなときは次回の散髪のときに「自分で切っているんですか」と聞かれたりもします。


睡眠で髪の毛が成長しやすい時間を与えてやる

髪のあるなしに関わらず

髪の毛が増える方が断然気持ちが前向きなります。何でわかるんですかときくと、「いやー、右側だけしか切ってないですからねえ」などと言われたりしました。散髪に行くのもままならない状況でしたが、さらにもう1つの問題というのはカツラが実は消耗品であるということです。まず、人工皮膚に植えている髪の毛が少しずつ抜けていきます。自然の髪の毛とは違うので間違っても伸びたり、新しく生えてくることはありません。そして、自分の皮膚に直接触れる人工皮膚の裏側の部分がこれまたすこしずつボロボロになっていきます。というわけで、1年か2年たつと何らかの修理をする必要がでてくるのです。ところが、カツラ屋さんに製品を預けて修理している数週間の間も頭の上には何かを乗せておかなくてはなりません。ここで必然的に第2のカツラをあつらえることになります。ン十万円が吹っ飛ぶ瞬間です。当然カツラを乗せていた1、2年の間にも激しく髪の毛は減っており、より大きな面積で、しかも新技術とメーカーが宣伝するカツラが注文され、結果的に大きな出費になってしまいます。というわけで私はほぼ2年毎に新しくカツラを作り、このままではワシは未来永劫にカツラ会社を儲けさせるんかいな、などと悩んだりもしました。このようなある日、アスペン·ヘアー三宮店で新しい担当者に「これは新しい技術による画期的な新製品です。プロモーションビデオをお貸ししますから、ぜひ御検討ください」
といって1本のビデオを渡されました。おそらくはよりよく頭にフィットし、少々風が吹いても大丈夫、泳いでも大丈夫、というたぐいのものではないかと予想されました。


薄毛は治らないところが、やはり画期的な新製品というのは値段の方も画期的であることも容易に予想できました。医者は収入がよくて、ン十万円なんぞ何とも思っていないみたいに誤解されているのかもしれません。私はほとほと嫌になってきました。それにのんびりビデオを見ている時間も当時の私には全くありませんでした。この頃の私はメチャクチャに忙しく、慢性の睡眠不足だったので、ビデオを見る暇があったら迷わず睡眠をとる方を選びました。自動車を運転しているときですら、赤信号で交差点に止まったときは隣の人に「信号が青になったら起こしてくれ」と言っては東の間の睡眠をとったりしていたぐらいです。そんなわけで次に散髪に行ったときに「ビデオはどうでしたか?」と聞かれても何にも答えられませんでした。そのうち見る機会もあるだろうと思って、もう1ヵ月ビデオを借りていましたが、その次に散髪に行ったときにもビデオは全く見ていませんでした。業を煮やした担当者が「何でビデオを見ないんですか」と聞くので、思わず「新製品を買うといっても、お金もかかるじゃないですか」と答えました。ビデオを見なかったのは単に時間が無かったからですが、この発言もまた事実でした。すると担当の人は「そんなこと言ったってアナタ、カツラなしで済ますわけにいかないでしょう。今さらカツラを取ることはできないですよ。カツラを取るのはつけるより、もっと勇気がいるんだから!」と随分、偉そうに言いました。私が黙っていると「私の言ってることは間違っていますか?」


あなたに似合う髪型

とさらに追いうちをかけられてしまいました。何となく釈然としないものを感じながらも、しかたなく「わかりました。家に帰ってよくビデオを見ることにします」と答えました。しかし頭の中では別の考えができつつありました。それは「なるほどカツラなしで済ますわけにはいかんかもしれんけど、そのカツラをどこで買うかはこっちが決めることや。こうなったらアスペン·ヘアーの別の支店に行ったるで」ということです。これを面と向かって言えばさぞかし気持ちが良かったでしょうが、そんなことをして余計な恨みをかっても困るので、支店を変えることはその時は黙っておくことにしました。アスペン ·ヘアー本社の方は必ず支店単位で営業成績の尻を叩いているに違いありません。
というわけでアスペン·ヘアー梅田支店に電話して、「住所が変わったので、今度からお宅に散髪をお願いしたいのですが」と言ったときには、これはカモが来よったと思われたのか、三宮店よりはるかに対応が丁寧でした。またまた画期的新製品を勧められてはかなわないので、最初に行ったときに「いやあ、これまで三宮店に行ってたんですが、しつこく新製品を勧められましてね。

そもそも髪の毛の話題を禁忌として触れなかったかもしれない。

貼るタイプのカツラも大手会社から発売されています今つけているカツラは本当にもうダメなんでしょうか?」と尋ねました。すると予想どおり新担当者は「いえ全然そんなことはないですよ。私どもはお客さんに無理に製品を勧めることはしませんから、安心してください」と言ってくれました。これでひとまず安心ですが、三宮店の人に私がこちらに移ったということを知らせようと思ったのでそうそう、三宮店から新製品のビデオを借りていたんですが、もう行くこともないし、笹生からだって言って、そちらから返しておいてくれませんか?と言いますと、いいですよと2つ返事で引き受けてくれました。これでビデオとともに私のメッセージが十分に三宮店に伝わったことでしょう。梅田店は三宮店に比べると少し狭いようでしたが、お客さんの数はもっと多いように見えました。やはり、散髪の予約は土日に集中するようなので私は毎回散髪が終わったあとに次の、ということは1カ月先の予約をしてから帰ることにしました。こうすると一々電話する必要もないし、土日の好きな時間を取ることができて万事うまく行くようになりました。しかしながら、徐々にお客さんの数が増えていったので、やがて毎回2ヵ月先の予約までしておく必要がでてきました。ここの支店の問題はお客さんの待合室が1つしかないということでした。ということは客同士が鉢合わせすることがあるということです。事実、私は何回も他のお客さんといっしょになりました。ほかのお客さんといっても知人に会うわけでもなく、お互いにカツラなので気持ちの上では五分五分のはずです。こちらが一方的に困ることもないはずですが、何となく気まずいものがあります。

髪の扱い方が雑だ

男性と女の薄毛のきっかけの差異にちゃんと着目

ところが私の場合は20代前半にして髪の毛が薄くなりだしたのですから、これを不条理といわずして何を不条理といえましょう。いかにして髪の毛がなくなっていったか、については中学校にまで歴使を遡らなくてはなりません。最初に入学した田舎の中学校では髪形についての規則は何もありませんでした。私は単に真直ぐな髪の毛を真直ぐに伸ばしている少年にすぎませんでした。ところが、中学1年の終わりに引っ越しして神戸市の中学校に転校したのです。今はどうか知りませんが、当時、神戸市の公立中学では男子は全員丸坊主でした。こうすると何か効用があるのか、煩悩がなくなるのか、とにかく全員丸坊主でした。頭を洗うことだけは簡単でよかったのですが、揃いも揃って丸坊主というのは何とも滑稽な風景でした。もちろん高校に入ると再び髪の毛に関する規則はなくなってしまいました。それでも私が入学したのは進学校だったので、立花隆みたいな頭の生徒はいても、トサカみたいな頭をした生徒や、金髪に染めている生徒などは皆無でした。私も再び髪の毛を伸ばし始めましたが、どういうわけか中学校のときと違って、天然パーマの縮れた髪の毛が生えてきました。この頃の私はむしろ髪の毛が多すぎるぐらいでした。しかも伸ばし放題であまり真面目に髪の毛の手入れをしていなかったので、クシも通らないような状況でした。これはわざと無茶苦茶をしていたわけではなく、単に無頓着だったわけです。本人にしてみれば周囲と同じようにしているつもりでしたが、当時の写真を見ると私だけがわけもなく暑苦しい頭をしていたようです。この頃の私はまたずいぶん脂症でもあり、フケもたくさんでました。これは1回髪の毛を洗ったぐらいではどうにもならず、頭を掻くと、またフケが出るという具合でした。高校のときのことで覚えているのは試験のときのことです。実力試験の理科社会などは日本史、物理、化学の3科目合わせて3時間というような試験なのでヒマで仕方がありません。右手で答案を書きながら始終左手で頭をボリボリ掻いていました。しばらくすると、答案用紙の上にフケやら髪の毛やらがたくさん落ちてたまります。たまったところで、右手でサッサッと机の外に落として再びボリボリと頭を掻きながら答案を書いていました。

幼な馴染みの近所の散髪屋に電話をかけて

何となく答案用紙にもアブラがつくみたいで、答えを書こうとしても鉛筆でうまく書けないこともあったような気がします。思い起こせば一番最初に髪の毛が薄いことを意識させられたのは何と大学2年、実に弱冠20歳の時の事でした。そのにろ私は家庭教師で小学校5年生の男の子を教えていまし算数でた。「ノートは100円で、鉛筆は20円、合わせて10個あるとして……」
とやっていたときに、その男の子がいきなり「アスペン·ヘアーは1本250円やで一」と言い出したのです。私は怒ってその子の首を締めてやりましたが、このときはまだ冗談で済んでいました。しかし大学3年ぐらいになると事態はかなり深刻化してきました。どうしても後頭部にくらべて前頭部や髪の分け目の部分の薄さが目立つようになり、センター分けにしたりオールバックにしたりして誤魔化していました。ひとごととは思えないようなにとがあったのは大学3年のときのことでした。級友の1人が夏休み後の最初の授業のときに、すっかり髪の毛が薄くなって現れたのです。級友といっても、この人は別の大学の工学部を1回出てから医学部の1年に入り直した人なので、当時30歳前後だったと思います。もともとは髪の毛がフサフサとしていたのですが、まるで円形脱毛のひどいのにかかったようにバサッと毛が抜けてしまっていました。周囲の友達は本人の前では何食わぬ顔をして話をしながらも、陰にまわるとひそひそと、しかも深刻に真相の究明を楽しんだものです。1つの有力な説は、彼は夏休み前に結婚してアメリカに新婚旅行に行ったのですが、アメリカの水が体に合わなかったのだ、というものです。もう1つは、奥さんと大ゲンカをしてその心労で激しく脱毛したのだ、という説です。そのほかには、あれは元々がアスペン·ヘアーだったのだ、という人も1人だけいました。当の本人は陰で何を言われているかは全く気にせず、あるいは気にしていたのかもしれませんが、それを外に出さずに過ごしていました。その後、彼は髪をずっと短くしてしまいました。もし水が合わなかっただけならまた生えてくるはずですが、現在に至るまでそのままです。ということは、第3の説が正しかったようです。

 

作った髪型が崩れやすいと思

発毛効果はないので過剰な期待はしてはダメだと言われた笑

結局、奥さんを貰ってしまえばそれ以上カツラをつけている必要がなくなった、ということでしょうか。さて、大学3年の夏休みは私自身も自他ともに認めるほど髪の毛が減っていました。私は大学では卓球部に入っていたのですが、当然夏休みには色々な大会があります。そのうちの一つに国立七大学対抗戦というのがありました。これはひらたく言えば旧帝国大学の対抗戦で、私たちは俗に七帝戦と呼んでいました。主幹校は毎年もちまわりで、この年は仙台の東北大学で行われました。七大学総当たりの男女団体戦と個人戦が行われ、最終日の夜はレセブション、つまり宴会があったわけです。このレセブションでは「フィーリングカップル7対7」というのをやるから各大学で男女各1人出場させるように、というお達しがありました。フィーリングカップルというのは、私ぐらいの年代の人間には非常になつかしいテレビの若者向きお見合い番組で、最近でいえば「ねるとん」のようなものです。テレビでは5対5でしたが、このときのレセプションでは7対7でやることになったのです。なぜ私が出ることになったのか、というと1つは私が団体戦、個人戦とも出場して適当に活躍したということがあります。同じ活躍したといっても、優勝したようなコワモテの人はあまりおフザケに出るのもどうかと思いますし、一方、全然活躍していない人も顔が知られておらず、もうひとつ盛り上がらんだろう、というわけです。もう一つ考えられることは、私に彼女がおらず、周囲が真剣に心配してくれていた、という理由です。ねるとん風にいえば、彼女イナイ歴20年ということになりましょうか。卓球部ということから想像がつくように、他にも彼女イナイ歴=年齢という奴は沢山いたのに、何故私が特に周囲に心配をかけていたかというと、やはり男性とし
て致命的な欠陥をかかえていることに周囲がウスウス気付いていたからでしょう。ある親切な後輩などは「笹生さん、なんぼ相手をつかまえたとしても、距離が遠かったら長続きしませんよ。京大か、せいぜい名大の子にしとかなあきませんよ」とまで言ってくれました。さて本番の形式ですが、まず各自が自己紹介をしてから質問のやりとりをするということになっていました。私の自己紹介のセリフは同級生の幸田テツと1年上の大川さんが、頼んでもいないのに勝手に考えてくれました。これはもう徹底的に髪の毛にフォーカスを当てた自己紹介になったわけです。「このたび、関西リーグ戦や七帝戦など、長期遠征に行くに当たってやはり髪の毛にも配慮をしなくてはならないと思いまして」

ものがだんだんと増えてきてヘアトニックとヘアリキッドのどちらを持っていくべきかと悩んでいましたところ、幸田のテツに「直ちゃん、それはアンタ、髪乃素しかないで………」と言われてしまいま(笑)したここで固有名詞を出すにしても少しは知られている名前でないとウケません。その点、団体戦、固人戦にわたって活躍したテツの方が、単なる女子チームの監督である大川さんよりは都合がよかった、というわけです。「私、以前はゲルゲリー(髪の毛が爆発しているので有名なハンガリーの卓球選手)などといわれていたんですが、現在は何故だかヨニエル(こちらはすっかり髪の毛が薄くなっているので有名なハンガリーの卓球選手)などといわれています」(爆笑)という具合です。滑り出しの自己紹介を好調に終えた私は、そのあとは言うことなすこと全てウケた上に、最後には九大の女性を射止めることができました。しかし、その後彼女に対しては何のアフターケアもしないままでした。どうやら私に不足していたのは髪の毛だけでなく、マメさも全然足りなかったようです。当然、テツと大川さんは大喜びでした。色々言うてウケたけど、あれは全部ワシらが考えたったんやんか。ちょっとは感謝せんとあかんで一直ちゃん、「あんだけ、自分を犠牲にしたんやもんな、そらウケるで」というわけです。 まことにもっともなことです。大学3年頃から私の髪の毛は急激に無くなっていきました。クラスでは私の他にもあと2人、髪の毛の薄いのがいて、合わせて3大ハゲと言われていたことは前にも述さて、べましたが、この3人で寄ると話題は髪の毛のことしかありません。同病相哀れむなどと言いますが私たちの場合は少し違っていました。
呼吸不全で切れ毛や細毛へと進行させてしまうのです。
呼吸不全で切れ毛や細毛へと進行させてしまうのです。

長測剛はM字型の薄毛です

あなたが髪の傷みを改善してくれると信じて止まない整髪料類ハゲというものは深刻な病気というよりもむしろ滑稽なものであり、そしてまだ完全にあきらめきれずに一纏の希望を残している、という複維な感情を本人が持っているのが普通です。さらに私たちについて言えば、「自分は確かに髪の毛が薄いには違いないけど、あとの2人よりはマシやろう」とそれぞれに考えていたので、私たちが教室などで出くわすと、まずお互いの傷つけ合い
が始まりました。「笹生、お前どうしたんや、また髪の毛が薄くなっとるやんか」「何ゆうとんねん垣本、お前こそ前だけやなくてテッペンまで薄くなってきとるで。鏡で見えへんとこやから油断しとったんと違うか?」「ワシの場合は進行してへんから、ええねん」「しかし、二人とも西園には負けるなあ、あいつ見とったら、かわいそうになってくるで」そうや、そうや!という具合です。そして、その次には育毛剤とか髪の毛にいい食事などの情報交換が行なわれます。さらに私たちも当時は医学生の端くれだったので、たまには医学的解釈もしていたように思います。私たちの会話では、お互いにしかわからないディテールについての議論も色々ありました。例えば、髪の毛が薄くなっていくときというのは、毛根の力も弱くなっているようです。そうすると、髪の毛をつかんでちょっと引っぱっただけでも予想外の痛さです。風が吹いて髪の毛がなびくと、これまた毛根にひびきます。信じられないことですが、少し痛いわけです。また、どういうわけか、髪の毛というものは後ろはフサフサとしていても、前の方が少なくなっていきます。どういう時にこれを実感として感じるのかというと、例えば壁にもたれたときです。後頭部を壁に押し付けてみても髪の毛があるのでワンクッションがあって壁の感触が皮膚に伝わるような気がするのですが、頭頂部とか前頭部を壁に押し付けてみると、ダイレクトに壁の感触が皮膚に伝わってきます。もっと正確にいえば、皮膚の方も後頭部が厚くて、テッペンから前にかけて薄くなっているので、壁の感触がガチンと頭蓋骨に伝わるょうな感じです。

育毛サプリメント

髪の毛が薄いと、こういうやらなくてもいいことをワザワザ試してしまうのです。頭を水に濡らしたときが悲惨です。普段は髪の毛全体をふくらませたりして、何となく誤魔化していても水に濡れてしまうと、全体がペチャッと皮膚にはりついたさらに、り、前頭部に髪の分け目の巨大なやつが何筋も入ってしまったりします。実際にはクラブの試合や合宿のときなどが一番問題でした。風呂に入ったあとで全員で集まってミーティングだ、などと言われるとという感じです。また「最終日は練習をやめて全員で海に泳ぎに行くぞ」ということになると「キャー」と言ってハシャいでいる人「アワワ」達をしりめに、またしても「アワワ」です。それで思い出しましたが、こんなことがありました。夏休みにクラスの友達の1人が「今度ワシなあ、彼女とその友達といっしょにプールに行くねん。直ちゃんも一緒にどプールのタダ券もあるで」と誘ってくれたのです。またしてもかと思われるかもしれませんが、髪の毛が少ないといえども私も青春真只中、「アワワ」とうや?「アワワ」思う前に口の方が勝手に「そら行くで!当然と答えていました。男女各3人、今考えても逃す手はありません。とはいえ、髪の毛の方にも対策を立てなければなりやんか」ませんでした。そこで、他の野郎2人に頼んで作戦を練ったのです。泳いだときに、普段あれこれやり繰りして誤魔化している髪の毛の薄い部分が目立ってこれはマズイ!ということ
サインを受けた私は何気なく髪の毛を直す、というものです。サインはあとの2人が独立して送ることになっていました。確か、1人は鼻になったら、サインを送ってもらう、に手を当てる、もう1人は咳払いのジェスチャーをする、といったたぐいだったと思います。さていよいよ当日「必勝」の決意を胸に秘めながら私は某ホテルのプールに向かったのでした。プールの方は、過ぎ行く夏の終わりを楽しもうという人々で販わっていました。もともと私は小学校時代から泳ぐのは好きで、しかも得意な方でした。被せ髪を切られたら大変なことになる。

毛穴が痛みます。

薄くなったということはないです。

例えば、散髪を終ってすっきりした気分で待合室を通って帰ろうとしたときに、どこかのカツラ親父が座っていたりすると、とたんに不愉快な気分になります。何か鏡に写った自分を見るような嫌悪感が猛然と湧き上がってきて、「このクソ親父、こんな年でカツラなんかつける必要ないやないか。なに取り繕ってんねん。それにおんどれの頭なんかカツラかぶっているの一目瞭然やで!」とか何とか思ってしまうのです。そう言えば、アスペン·ヘアーの営業担当の人の多くが自らもカツラをかぶっているというのは前にも述べましたが、散髪の担当者はどうなのでしょうか。ある日散髪している最中にこの疑問にふととらわれた私は、今まさに髪を切ってくれている人の頭をジーッと鏡の中で観察してみました。すると、「この人もカツラやったんや!」と気突然
がつきました。勿論、散髪屋さんですから自らの髪の毛には相当な気を使っていて、一部の隙もないような髪形でしたが、じっと見ると自毛とカツラの境目が突然見えたのです。この辺の感覚は初めて3Dポスターが立体的に見えたときの感覚に似ているような気もします。当然ですが、それを悟ったからといって本人に言うことはありませんでした。

毛髪·発毛業界全体の革命につながります。


毛髪業界の高額体質が進めば

>すでに薄毛を克服するための大きな一歩を踏み出しています。知らん顔をして世間話を続けていましたが、こんなときは何となく相手に申し訳ないような気がしたものです。
8 新製品登場さて、私のカツラ人生にも大きな変化が訪れました。アスペン·ヘアーから正真正銘の新製品が発表されたのです。いままでのカツラは髪の毛にピンで止める方式でしたが、新製品は自毛にくくりつける方式を採用していました。自毛にくくりつけるといっても、元より前頭部の毛はほとんどありません。したがって両側面から後方にかけての約3分2周にわたってほぼ1センチおきに自毛でカツッラをとめるという離れ業を行うわけです。今回の新製品はそれなりに大きいもので値段も高かったのですが、初めて装着したときには私は大いに満足しました。後頭部の皮膚にあたる金属ピンの違和感が全くありません。今まではカツラをつけたまま寝転ぶと皮膚と床や枕の間に硬いもの、つまりピンがあって少し皮膚が痛かったのですが、新しいカツラはまるで自分の本当の髪の毛のようにフィットしていました。前額部は今までどおり両面テープで貼ることになるのですが、いつも同じ場所にピタリと決まりました。このいつも同じ場所というのは非常に大切なことなのです。金属性のピンを使って自分の髪の毛にカツラをとめていると、そこの部分の毛がひっぱられてだんだん薄くなってきます。そこで少し右やら左やらに位置をズラしてカツラをとめなくてはなりません。毎朝起きたときに顔を洗うついでにカツラをとめるのですが、何しろ朝は誰に限らず忙しいものです。あまり位置をよく検討せずに適当にカツラをつけてしまうと、一日中いかにも変な具合になってしまいます。この点、あらかじめ両側面と後頭部の位置が決まっていれば、毎日同じ位置にピタリと決まるわけです。何よりも自分の髪の毛にカツラをくくりつけているのですから、寝るときもはずしたりしません。一々つけたりはずしたり、病院で当直していて夜中に起こされるたびにまたつけたり、などとやっているのに比べてはるかに楽でした。髪にくくりつける方式というのは実際にやってみると先に述べた以外にも旧製品に比べていくつかのメリット、デメリットがありました。まずメリットですが、やはり取れにくくなったことです。前額部の部分さえアロンアルファなどでしっかりとめておけば走ったり泳いだり、遊園地に行ってジェットコースターに乗っても全然平気です。いつぞやは病院でこんなことがありました。その患者さんは中年のチャキチャキした女性で良く言えば天真燭漫な人でした。この人に注射をしたときのことです。


活性化されない毛細胞からは健康な毛髪は形成されず

むしろ短髪にした方

ハゲを隠している髪のズレを確認してベッドに寝ている彼女に今から注射をしますよ私はかがみこんで注射をしました。上手にしたつもりですが、針を刺したとたんに彼女はと言って、イターッ!!と叫んで私の髪の毛をワシ掴みにしてギューッと引っぱったのです。私は仰天しましたが、とっさに「カツラをむしり取られてはならん!」と思い、彼女が引っぱった方向に頭の方も移動させました。レスポンスといい、過不足なく頭を移動させたことといい、これは自分でも驚くほどの反射的な技でした。「○○さん何をするんですかっ!」と思わず私は大きな声を出し、その患者さんも謝りましたが、もしこれが新製品でなかったなら、いくら私の反射神経がよかったとしても間違いなくカツラと頭は泣き別れに
なっていたでしょうし、患者さんの方は謝る前に大笑いをしたことでしょう。それでは新製品に変えたことによるデメリットはどんなことがあるでしょうか。ずばり、搾いことです。メーカーの説明によればカツラの後ろ側の3分の2周をとめているだけなので、前側があいており、ここから手を入れて頭皮を掻くことができるということになっています。ところが、ここから手というより実際には指ですがを入れても掻くことのできる部分はほんのわずかです。


これが初期脱毛なんだと思います。とにかく指の届く範囲だけでも、と思って掻くのですが、何しろほぼ1カ月の間つけっぱなしにしているので、頭の後ろ半分は日が経つにつれてどんどんフケが溜まり、癖くなってきます。風呂に入ったときにはカツラごしに頭を洗うのですが、こんなことでフケが落ちるはずもありません。洗わないよりはマシ、というぐらいのものです。そこで何とか指以外のもので頭皮を掻くことを考えました。最初は耳掻きです。これはさすがに本来「掻く」ために存在しているだけあって、先端の「皿」の部分がいかにもうまくできています。しかし全体が直線なので、結局は奥にまで、つまり搾いところまでは届かないのです。そこでこれをカーブにして、頭の形にフィットさせればいいのではないか、とは誰でも考えることです。この耳掻きは竹のような木のような材料でできていたので、何回も火であぶって、ぴったり合う形にしてから実際に使ってみました。しかし、所詮は木です。いくらいい形に曲げてあってもちょっと強く掻こうと思うと、ぐにやっと曲がって力が入らないのです。もう少し材料が硬いものだったらよかったのですが、木ではどうにもなりませんでした。その次に使ってみたのは薬匙です。薬匙というのは、薬を化学天秤などで正確に0.01グラム単位で量るときに使うものです。形は耳掻きにそっくりですが、全体に少し大きく、金属製なのでいかにも頼もしいように思いました。これを曲げて頭の形にフィットさせて使ってみますと、今度は大変具合が良くなりました。何しろ金属なので、ちょっとやそっとではぐにゃりとなることはありませんでした。ちゃんと先端の「皿」の部分にまで力が加わります。金属の冷たくて硬い感触が頭皮に伝わってきて、随分頼もしい気がしました。搾い皮膚もかなり広範囲にまで薬匙がカバーしてくれましたが、それでもいささか問題が残りました。ひとつは、いくら薬匙でも前額部から挿入したものが後頭部までは届かない、ということです。せいぜい頭頂部まで届くのが精一杯でありました。結局、後頭部の皮膚をどうしたのかといいますと、カツラを後頭部の自毛に1センチおきにくくりつけている隙間から薬匙を差し込んで皮膚を掻いたのです。こうすることにより、かなりの部分の頭皮をカバーすることができました。ところが、カバーできない部分もあります。たとえば、カツラを自毛にくくりつけている部分などは、いくら工夫しても薬匙を差し込んでも、陰になってしまって届きません。頑張って掻こうとするほどフラストレーションがたまっていきました。フケというものは単に接いただけではだめです。掻いて、フケを頭皮から浮かしたのちに洗髪してきれいに落としてはじめてサッパリするのです。特製薬匙でフケさらに、を浮かせるところまではできますが、頭を洗うと、せっかく浮かせたフケが再び頭皮に貼りつくので、元のもくあみになってしまいます。そのようなわけで、散髪に行って髪を切り、カツラをつけ直した直後はいいのですが1週間、2週間と日が経つにしたがってどうにも頭が搾くなってきます。考えてもみてく
ださい。次の散髪まで4週間のあいだ、頭を洗わないで我慢しているのと同じようなものです。特にスホポーツなどをして、汗をかいたりすると最悪です。癖くて癖くて他のことなどは全く考えられなくなります。散髪に行く1週間ほど前ぐらいからは、指折り数えてカツラをつけ直す日を待ちました。


最後の体育祭。

「カツラをはずしたら、その場でバリバリと両手で頭を掻きむしったるで」と、そのことばかり考えていました。3日ぐらい前からは秒読み開始です。「あと3日」、「あと2日」いよいよ前日になると、もうなりふり構わずカツラをむしり取ってしまいたくなります。いよいよ当日です。待ちに待った散髪屋に行くときの心境というのは言葉では言い表しがたいものがあります。その日は、たとえ美女に誘惑されても、百万円の儲そして、け話が転がり込んできても、そんなものは後回しです。とにかく一刻も早くカツラを外してもらってバリバリと頭を掻くことしか考えていません。しかし、人間とは不思議なものです。散髪の予定時間の30分ほど前になると、あれほど癖かった頭が急に癖くなくなってしまうのです。何と表現したらいいのか、不思議に落ち着いた心境になってしまうのです。「ジタバタしなくてもあと30分もすれば、思う存分頭を掻くことができるぞよ」と思うと急に余裕が出てくるのかもしれません。というわけで私は毎回平静の心をもって散髪に臨みました。散髪屋に一歩入ると、石鹸のいい匂いがプンとします。「ついにこの日が来たか。思えば長い1ヵ月であった」などと感慨に耽りながら散髪椅子に腰を下ろします。係の人が自毛にカツラをくくりつけた部分を手際良くはずしていきます。平静の心で散髪に臨んでいるせいか、このときの私には一切の洋み、迷い、恐れ、などの世間話をしながら、煩悩はありません。ひたすら係の人のなすがままになっています。ついさっきまであれほど気が狂わんばかりに梓かったのにです。

オイルを手にとって髪になじませるだけ

両手で強くかきむしると大量の髪の毛が抜けてしまいました。カツラをはずした瞬間、これまで1ヵ月の間封じ込められていた頭皮の熱気がモワッと立ちのぼるような気がします。ついに頭皮は全面的に解放されました。もう私はいくらでも好きなように頭を掻く自由を得たのです。係の人はカツラのメンテナンスをするので、すぐに部屋から出ていきます。「さあ、人目をはばからずに思う存分、頭を掻いてやるぞ。でも今はあまり搾くないなあ」などと考えながら、少し頭を掻いてみます。すると、途端に頭全体に火がついたように搾みが襲いかかるのです。あとはもうひたすらバリバリバリバリと両手で掻いて掻いて、掻きまくります。それはもう手が2本、指が10本しかないのがもどかしいぐらいです。たちまち、散髪用ガウンの上には雪が積もったようにフケやら細い髪の毛やらが積もっていきます。指は脂でネトネトし、爪の間には蝋のようなものがはさまりますが、そんなことはお構いなしです。ひたすらバリバリ、バリバリであります。自分からは見えませんが、おそらく頭の皮膚は引っ掻き傷だらけになってしまっていることでしょう。しばらくしてバリバリが一段落したころにタイミング良く、係の人が戻ってきて散髪の開始となるのです。その時点の私はもう全精力を「バリバリ」に使い果たこうして、してしまっており、不思議な虚脱感の中でいつも呆然自失としていました。この係の人というのが結構よく変るのもアスペン·ヘアーの特徴でした。大体、1年も続けて同じ人に担当してもらうことは殆どありませんでした。ある日、散髪に行ったときに担当の人が変わっており、話をきくと
「先月、突然転勤になったんですよ」というのがいつものパターンでした。そしてさらによく話を聞いてみると、田舎の支店の店長になったとか、会社が新しい支店を作ったので任されたとか、比較的景気のいい話ばかりでした。これは私の推測ですが、当時の男性用カツラ産業は全体に急成長していて、アスペン·ヘアーも儲かって儲かって仕方がなかったのではないかと思います。私の散髪の担当をしてくれた人は合計で10人ぐらいにはなっていたと思います。その中でもやはり世間話がはずむ人とそうでない人がいるのも事実でした。何といってもよく話がはずんビのは中原さんという人です。この人は多分、私と同じか少し若いぐらいの年齢ではなかったかと思います。ちょうど、ネスカフェのコマーシャルに出てくる宮本亜門に似た感じの人でした。医学物の小説が好きで、よく読んでいると彼は言っていました。

髪の通りを良くしたいロングヘアなどの場合。

薄毛の悩みは解消 出来る

そのようなわけで、私のカツラ人生は順風満帆でした。手術室では多くの外科医の他に手術場勤務の看護婦さん達も働いています。この看護婦さん達も勿論手術室にいるときには帽子とマスクをしているので我々麻酔科医は普段、目元だけを見ているというわけです。20数人はいる手術場勤務の看護婦さんの顔と名前を全員覚えるのに1ヵ月もかからなかったのは、やはり当時私がまだまだ若くて、女性興味があったせいでしょう。に対しても大いにところが、彼女達が一歩手術場から出て帽子とマスクを取ってみると、ガックリしたものです。失礼な話ですが、マスクをしている時はキリッとしている看護婦さんでも、マスクを取ると妙に間が抜けてみえたり、予想以上にロが大きかったりして、良くてマスクをしている時と同程度、多くはグッと器量が落ちるのが普通でした。誰が言い出したかマスク美人という言葉があります。これはマスクをした時だけ美人に見える看護婦さんを表現した言葉だということは、容易に想像できると思います。このような話をある日、親しくなった若手看護婦さんとしていると、「先生達だって同じじやありませんか」という言葉が返ってきました。なるほど、こちらから見て思うことは相手から見ても同じこと。目元だけが涼しい麻酔科医、手術中だけはキリッとしている外科医も沢山いるようで、マスクを取ってガッカリ、ということも彼女達は随分経験しているようでした。さながら手術場というのは一種の仮面舞踏会にもたとえられましょう。この当時のことで私が覚えていることというと、外科の病棟医長をしておられたT先生のことです。

現状では植毛という選択しかないです。

彼は外科の病棟医長をやっているだけあって、頻繁に手術をやっていたのですが、またさわやかな人でもありました。大勢の研修医に弧爽と指示するさまは、これぞ外科医という感じで実にカッコ良かったのです。将来、外科方面に進もうと考えていた私にとっては、まさに未来の自分の姿を重ね合わせる格好のお手本でもありました。ところが、ところがです。ある日病棟で白衣を着て歩いているT先生を偶然見かけた私はびっくり。何と彼は見事なテッペンハゲだったのです。手術場と同様、弧爽と研修医に指示をしている姿の何と間の抜けたことか。もちろん、帽子もマスクもかぶっていない姿の方が本来であり、勝手に失望されたりするのは彼の罪で勝手に憧れられたり、も何でもありません。彼にとってはいい迷惑です。しかし、この日以来、カツラは私にとっては改めて必要不可欠なものとなったのでした。さて、このように順調に進んできた私のカツラ人生ですが、月日を重ねるに従って何回かの危機が訪れるようになりました。その第1は従兄が私の家に遊びに来たときでし
た。彼は私より3歳ほど年上なので、当時20代後半だったと思います。私の家系には見事なロマンスグレーというのはあまりなく、ハゲた人が多いのですが、彼もまた20代にして髪の毛が薄くなっていたのでした。そして、同じように髪の毛が薄くなっていた頃の私に「ベビーシャンプーを使ったらいいよ」とアドバイスしてくれてもいました。それが、ある日家に遊びに来たときに私の新しい頭を見て髪の毛が増えたんとちがう?直ちゃん、と聞いてきたのです。こういうふうに、非常に親しい人から聞かれた場合の対応は2つ考えられると思います。ひとつは正直にカツラだと言った上で口止めをすること。もうひとつはあくまでも知らんふりをすることです。とっさのことで、どっちの対応をしようかと私が一瞬つまったときに、横にいた母親が「そうよ。増えたんよ、いいでしょ」と言ってしまったのです。この一言でその場の方針は決定されてしまいました。すなわち、シラを切りとおす、ということです。彼は田舎育ちの純朴な青年なので、素直にそれを信じて「そうか。どうやったら増えたん?シャンプーを代えたん?」

 

毛母細胞の働きを抑制するタンパク質が生成される

この薄くなった状態

と真剣に根掘り葉掘り聞いてくるので大変困りました。危機の第2は高校時代の友達と集まって麻雀をしていたときのことでした。4人のメンバーのうちの1人が「あれえ? 笹生、前はもっと少なかったのに髪の毛が増えたんとちがう?」と聞いてきたのです。このときの友達はそうたびたび会うこともないので、あまりわからんだろうと思って、私はそうかなあ?とか何とかいってとぼけていました。でも、彼は「それに前は天パー天然パーマやったのに、真直ぐな毛になっとるで。天パーの髪の毛が真直ぐになることもあんのかなあ」とか何とか追及してきたのでヒヤヒヤものでした。その後、もっと恐ろしい危機がやって来るのですが、この時の私には想像もできませんでした。その話をする前に少しカツラのシステムについて説明しましょう。
3 カツラのシステム「カツラのシステムゆうたかて、そんなもん、ただハゲ頭に乗せとるだけやないか」と思われる人が多いかもしれません。しかし、実際にはカツラにもシステムが存在し、そのシステムのために日本の男性用カツラ会社、特に大手カツラメーカーがここまで大きくなったのです。

薄毛に対してどのような精神状態でい出してつまり、カツラが必要な人というのは何も全く髪の毛がないというわけではなく、前額部が後退していたり、ツムジの部分がカッパのお皿のようになっていたり、髪の分け目がトコトン切れ込んでいたり、という風に部分的に無くなっているわけです。そして、これらの大手カツラ会社のカツラというのは頭全体にかぶせる全カツラではなく、髪の毛の少ないところにだけかぶせる部分カツラなのです。この方式だと残っている本人の自毛を最大限生かして、見た目に自然な髪形を作ることができます。さらに、カツラの値段は大きさの大小によって変わってくるので、金銭的な面からもユーザーにとっては小さい方がよろしい、ということになります。ところが問題は、例えハゲていても残った部分の自毛は伸びてくる、すなわち散髪が必要だということです。普通の散髪屋に行って、パチンパチンとカツラをはずしてさあ、お願いしますと言ったら店中が大騒ぎになるでしょう。それなら、自宅からはずしていけばいいのですが、これまた知っている人に会ったら大変なことになります。そんなわけで普段カツラをしている人には専用の散髪屋が必要になります。この点にいちはやく着目したのが、現在の大手カツラ会社というわけです。私の場合、自宅から近い三宮の駅前にある雑居ビルの四階が、神戸方面の営業事務所を兼ねた散髪屋になっていました。お客さん同士が鉢合わせしても気まずいので、完全予約制と個室、ということがよく守られていました。待合室でも他のお客さんに会わないように、部屋が非常にうまい構造になっていたのを覚えています。ここで、大体1カ月に1回ぐらいの割合で散髪をすると同時に、はずしている時間を利用してカツラ(アスペン·ヘアーの人達はこの直接的な表現を避けて「製品」と言っていました)の点検とメンテナンスをするという具合です。先に述べたように、私の髪の毛は元々天然パーマだったので、カツラにもクセをつけていたのですが、このクセが1ヵ月もするとだんだんとれてきます。そのクセを改めてつける大切な時間でもあります。麻雀の最中に友達に指摘されたときには、かなりこのクセがとれていた時期だったのでしょう。この散髪がまた、ただの散髪ではありません。
美容家である柳本 剛氏に髪のツャをについて聞いてみた。
美容家である柳本 剛氏に髪のツャをについて聞いてみた。

女子の薄 毛に対して相当影響的である事

眉毛の間が下に向かう傾向の顔アスペン·ヘアーによれば、カツラをかぶせた段階でおかしくないように髪を切るので、これはただの散髪ではなく特殊な技術だというわけです。そういわれれば確かにそうで、普通の散髪屋ではこうはいかないだろう、というぐらい手際良く髪を切ってカツラをセットしてくれます。月1回とはいっても毎回同じ人が切ってくれる上に、「人に言えない秘密を知られている」ないしは「本来なら世間に顔向けできないようなことを大目に見てもらっている」という妙な安心感があって、担当の散髪屋さんとは随分親しく世間話などをした記憶があります。しかし、世間並みの散髪屋に比べて値段がだいたい1回が3000円ぐらいでした。そんなわけで、一日このシステムに組み込まれてしまうと、なかな高いということもなく、か他には行きにくいという状況になります。
4 見破られてしまった!さて第3の、そして最大の危機はその年の秋にやってきました。手術室ではいつ緊急手術があるかわからないので、麻酔科の方でも必ず指導医クラスと研修医クラスの2人が当直することになっています。大抵はこれという手術もなく待機しているだけに終わることが多いので、その日も風呂など浴びてのんびりしていました。そうすると手術場の当直の看護婦さんが「先生、梨をむいたのですが、ひとつどうですか?」というわけで、たまたまそこら辺でブラブラしていた同僚と2人で看護婦さんの当直室にお邪魔したのです。看護婦さんの方も枯れ切ったベテラン、生意気盛りの中堅、初々しい新人という3人の組み合わせでの当直です。

薄毛に悩む日々が続く

ときには新人でありながらも枯れている人とかもいたりするわけですが、とにかくこの人達と四方山話に花を咲かせていると、突然、怖い者無しの中堅看護婦が先生のそれ、アスペン·ヘアー?笹生先生!と聞いてきたのです。銘柄までのあまりの図星に私はしばらく言葉を失いました。ええっと……などと言っていると、麻酔科の同僚までが「ほんまや、何か頭に乗せているみたいや」などと言い出したのです。彼は元々1学年上の卒業なので、私のカツラに関する話は何も知らず、このようにあまりにも正直な反応になったのです。私はようやくこのことでちゃうで一と言いましたが、「いっぺんこうやってギュッと頭の毛をひっばってみてよ」と看護婦さんに言われてさらにうろたえてしまいました。どうやってその場を取り繕ったか、今となっては全然覚えていません。後で考えると直前にいい気になって風呂なんかに入ったのがいけなかったのだと思います。一旦水で濡らすとカツラの毛は乾きが悪い反面、自毛の方は常人以上に乾き易いので、境目がクッキリとついてしまうわけです。このことは余程注意しなくてはならないことなのですが、数年後にまたしても同じような失敗を繰り返してしまいました。このようなわけで普段は髪の毛のことはあまり意識していませんでしたが、何かの拍子に自分がカツラをしていることを強く意識させられるという日々を過ごしていたわけです。
5 苦難の青春ところで、何故、またどのようにして私は髪の毛を失っていったのでしょうか。「何故」ということに関してはハッキリいってわかりません。確かに父方の親戚も母方の親威もハゲている人が多いのは事実です。法事なんかがあると見事に頭の薄い年寄りが揃います。私の父親も髪の毛が薄い方ですが、私の記憶ではそれでも薄くなりだしたのは三十代の後半ぐらいからで、極めてゆっくりと生え際が後退していったという感じです。抜け毛·細毛の予防やお肌·身体の若さ維持に重要となる