薄毛の原因が皮脂っていう

社会的に薄毛治療が認知されてきた証拠でもあります。

突然止まって「これで終りか、ャレヤレ」と思わせておいて、また動き出すという細かい芸もありました。周りの人たちは「もうええ、もういらん。はよ降ろしてくれ!」などと叫んでいます。私は相変わらず右腕で手すりを抱え込み、左手で頭頂部を押さえる奇妙きてれつな格好です。人から見れば「何でこの人の体は斜めになっているの?」と思われたに違いありません。不思議に恐ろしいという感情もなければ、気分が悪くなることもありませんでした。とはいっても周囲の景色を見る余裕もなく、ただ前の人の
背もたれの板を脱んでいただけに終わってしまいました。ようやく本当にカーペットが止まる頃になってから、私はさりげなく左手を膝に置き、背筋を伸ばして自らを取り繕いました。「まさか隣に座っていた女性は私の奇妙な格好に気がついていなかったろうな」と思いましたが、彼女は私の方をチラッと見て「片手を上げているなんて余裕でしたね、先生は」と謎の発言をしただけでした。遊園地といえば、別の日にも職場の何人かと行くことがありました。この日も最初は遊園地に行くことにはなっていませんでした。しかし、それは単に私が知らなかっただけで、3台の車は一直線に生駒山の山上遊園地に向かって行ったのです。この日は私も虫が知らせたのか予めアロンアルファーで補強していたので大丈夫でした。アロンアルファーで補強すると、はずすときに頭の皮まではがれてしまうだろうと心配されるかもしれませんが、これは少し説明をしておかなくてはなりません。

M字のあたりの産毛も濃くなっている気がしますし。


薄毛を克服できた瞬間

>そこの部分の毛がひっぱられてだんだん薄くなってきます。前額部の髪の毛がどんどん薄くなってピンで止められなくなった私は、アスペン·ヘアーの人の勧めにしたがって、この部分のピンをはずし、カツラの人工皮膚の部分と自分の皮膚を両面テーブで接着することにしました。こうすると多少はずれやすくなりますがピン特有の地肌から浮いた感じがなくなり、よりカツラとの一体感を得ることができます。色々な事情で特にしっかり止めたいときにはこの両面テープと地肌との間をアロンアルファーで接着してしまうのです。どうしてテーブと地肌の間かというと、もし前額部でカツラがはずれるとすれば、それはカツラの人工皮膚とテーブとの間ではなく、テープと地肌との間だからです。つまり自然の皮膚は汗を分泌したり、角質の脱落(フケ)があったりで、どうしてもテーブとの間がはずれやすくなるのです。したがってここをアロンアルファーで固めておけばよほど強い力が加わらない限り、はずれることはありません。しかも本当にカツラをはずしたいときには、端を持ってうまく引っぱれば、さほど痛い思いをすることもなくはずすことができるのです。
7 人には言えない苦労さて、この当時は私は大阪府の南の方にある某病院の脳神経外科に勤めており、河内長野市に住んでいました。以前から通っていた関係でこの頃も月に1回、カツラの定期点検と散髪をしてもらっていたのはアスペン·ヘアーの三宮店でした。カツラをつけはじめた最初の頃は「今週の週末あたりそろそろ散髪に行こうかなあ」と思ってから電話をして土曜日の午後か日曜日の散髪の予約をとることが簡単にできました。ところがこの店もだんだん繁盛してきだしたのか、予約を取るのが難しくなってきました。やがて、少なくとも前の週に予約を取らなくてはならなくなってきました。こうして苦労して予約をとっても河内長野から神戸までエッチラオッチラ電車に乗って行く途中にポケットベルが鳴り、救急患者やら何やらで容赦なく病院に呼び出されることもあります。そうすると改めて予約を取らなくてはならないので再び散髪が2週間後になったりするわけです。もう仕方がないので、風呂に入ったときに自分で髪を切ったりしたこともありました。やはりそんなときは次回の散髪のときに「自分で切っているんですか」と聞かれたりもします。


睡眠で髪の毛が成長しやすい時間を与えてやる

髪のあるなしに関わらず

髪の毛が増える方が断然気持ちが前向きなります。何でわかるんですかときくと、「いやー、右側だけしか切ってないですからねえ」などと言われたりしました。散髪に行くのもままならない状況でしたが、さらにもう1つの問題というのはカツラが実は消耗品であるということです。まず、人工皮膚に植えている髪の毛が少しずつ抜けていきます。自然の髪の毛とは違うので間違っても伸びたり、新しく生えてくることはありません。そして、自分の皮膚に直接触れる人工皮膚の裏側の部分がこれまたすこしずつボロボロになっていきます。というわけで、1年か2年たつと何らかの修理をする必要がでてくるのです。ところが、カツラ屋さんに製品を預けて修理している数週間の間も頭の上には何かを乗せておかなくてはなりません。ここで必然的に第2のカツラをあつらえることになります。ン十万円が吹っ飛ぶ瞬間です。当然カツラを乗せていた1、2年の間にも激しく髪の毛は減っており、より大きな面積で、しかも新技術とメーカーが宣伝するカツラが注文され、結果的に大きな出費になってしまいます。というわけで私はほぼ2年毎に新しくカツラを作り、このままではワシは未来永劫にカツラ会社を儲けさせるんかいな、などと悩んだりもしました。このようなある日、アスペン·ヘアー三宮店で新しい担当者に「これは新しい技術による画期的な新製品です。プロモーションビデオをお貸ししますから、ぜひ御検討ください」
といって1本のビデオを渡されました。おそらくはよりよく頭にフィットし、少々風が吹いても大丈夫、泳いでも大丈夫、というたぐいのものではないかと予想されました。


薄毛は治らないところが、やはり画期的な新製品というのは値段の方も画期的であることも容易に予想できました。医者は収入がよくて、ン十万円なんぞ何とも思っていないみたいに誤解されているのかもしれません。私はほとほと嫌になってきました。それにのんびりビデオを見ている時間も当時の私には全くありませんでした。この頃の私はメチャクチャに忙しく、慢性の睡眠不足だったので、ビデオを見る暇があったら迷わず睡眠をとる方を選びました。自動車を運転しているときですら、赤信号で交差点に止まったときは隣の人に「信号が青になったら起こしてくれ」と言っては東の間の睡眠をとったりしていたぐらいです。そんなわけで次に散髪に行ったときに「ビデオはどうでしたか?」と聞かれても何にも答えられませんでした。そのうち見る機会もあるだろうと思って、もう1ヵ月ビデオを借りていましたが、その次に散髪に行ったときにもビデオは全く見ていませんでした。業を煮やした担当者が「何でビデオを見ないんですか」と聞くので、思わず「新製品を買うといっても、お金もかかるじゃないですか」と答えました。ビデオを見なかったのは単に時間が無かったからですが、この発言もまた事実でした。すると担当の人は「そんなこと言ったってアナタ、カツラなしで済ますわけにいかないでしょう。今さらカツラを取ることはできないですよ。カツラを取るのはつけるより、もっと勇気がいるんだから!」と随分、偉そうに言いました。私が黙っていると「私の言ってることは間違っていますか?」


あなたに似合う髪型

とさらに追いうちをかけられてしまいました。何となく釈然としないものを感じながらも、しかたなく「わかりました。家に帰ってよくビデオを見ることにします」と答えました。しかし頭の中では別の考えができつつありました。それは「なるほどカツラなしで済ますわけにはいかんかもしれんけど、そのカツラをどこで買うかはこっちが決めることや。こうなったらアスペン·ヘアーの別の支店に行ったるで」ということです。これを面と向かって言えばさぞかし気持ちが良かったでしょうが、そんなことをして余計な恨みをかっても困るので、支店を変えることはその時は黙っておくことにしました。アスペン ·ヘアー本社の方は必ず支店単位で営業成績の尻を叩いているに違いありません。
というわけでアスペン·ヘアー梅田支店に電話して、「住所が変わったので、今度からお宅に散髪をお願いしたいのですが」と言ったときには、これはカモが来よったと思われたのか、三宮店よりはるかに対応が丁寧でした。またまた画期的新製品を勧められてはかなわないので、最初に行ったときに「いやあ、これまで三宮店に行ってたんですが、しつこく新製品を勧められましてね。

そもそも髪の毛の話題を禁忌として触れなかったかもしれない。

貼るタイプのカツラも大手会社から発売されています今つけているカツラは本当にもうダメなんでしょうか?」と尋ねました。すると予想どおり新担当者は「いえ全然そんなことはないですよ。私どもはお客さんに無理に製品を勧めることはしませんから、安心してください」と言ってくれました。これでひとまず安心ですが、三宮店の人に私がこちらに移ったということを知らせようと思ったのでそうそう、三宮店から新製品のビデオを借りていたんですが、もう行くこともないし、笹生からだって言って、そちらから返しておいてくれませんか?と言いますと、いいですよと2つ返事で引き受けてくれました。これでビデオとともに私のメッセージが十分に三宮店に伝わったことでしょう。梅田店は三宮店に比べると少し狭いようでしたが、お客さんの数はもっと多いように見えました。やはり、散髪の予約は土日に集中するようなので私は毎回散髪が終わったあとに次の、ということは1カ月先の予約をしてから帰ることにしました。こうすると一々電話する必要もないし、土日の好きな時間を取ることができて万事うまく行くようになりました。しかしながら、徐々にお客さんの数が増えていったので、やがて毎回2ヵ月先の予約までしておく必要がでてきました。ここの支店の問題はお客さんの待合室が1つしかないということでした。ということは客同士が鉢合わせすることがあるということです。事実、私は何回も他のお客さんといっしょになりました。ほかのお客さんといっても知人に会うわけでもなく、お互いにカツラなので気持ちの上では五分五分のはずです。こちらが一方的に困ることもないはずですが、何となく気まずいものがあります。

髪の扱い方が雑だ

男性と女の薄毛のきっかけの差異にちゃんと着目

ところが私の場合は20代前半にして髪の毛が薄くなりだしたのですから、これを不条理といわずして何を不条理といえましょう。いかにして髪の毛がなくなっていったか、については中学校にまで歴使を遡らなくてはなりません。最初に入学した田舎の中学校では髪形についての規則は何もありませんでした。私は単に真直ぐな髪の毛を真直ぐに伸ばしている少年にすぎませんでした。ところが、中学1年の終わりに引っ越しして神戸市の中学校に転校したのです。今はどうか知りませんが、当時、神戸市の公立中学では男子は全員丸坊主でした。こうすると何か効用があるのか、煩悩がなくなるのか、とにかく全員丸坊主でした。頭を洗うことだけは簡単でよかったのですが、揃いも揃って丸坊主というのは何とも滑稽な風景でした。もちろん高校に入ると再び髪の毛に関する規則はなくなってしまいました。それでも私が入学したのは進学校だったので、立花隆みたいな頭の生徒はいても、トサカみたいな頭をした生徒や、金髪に染めている生徒などは皆無でした。私も再び髪の毛を伸ばし始めましたが、どういうわけか中学校のときと違って、天然パーマの縮れた髪の毛が生えてきました。この頃の私はむしろ髪の毛が多すぎるぐらいでした。しかも伸ばし放題であまり真面目に髪の毛の手入れをしていなかったので、クシも通らないような状況でした。これはわざと無茶苦茶をしていたわけではなく、単に無頓着だったわけです。本人にしてみれば周囲と同じようにしているつもりでしたが、当時の写真を見ると私だけがわけもなく暑苦しい頭をしていたようです。この頃の私はまたずいぶん脂症でもあり、フケもたくさんでました。これは1回髪の毛を洗ったぐらいではどうにもならず、頭を掻くと、またフケが出るという具合でした。高校のときのことで覚えているのは試験のときのことです。実力試験の理科社会などは日本史、物理、化学の3科目合わせて3時間というような試験なのでヒマで仕方がありません。右手で答案を書きながら始終左手で頭をボリボリ掻いていました。しばらくすると、答案用紙の上にフケやら髪の毛やらがたくさん落ちてたまります。たまったところで、右手でサッサッと机の外に落として再びボリボリと頭を掻きながら答案を書いていました。

幼な馴染みの近所の散髪屋に電話をかけて

何となく答案用紙にもアブラがつくみたいで、答えを書こうとしても鉛筆でうまく書けないこともあったような気がします。思い起こせば一番最初に髪の毛が薄いことを意識させられたのは何と大学2年、実に弱冠20歳の時の事でした。そのにろ私は家庭教師で小学校5年生の男の子を教えていまし算数でた。「ノートは100円で、鉛筆は20円、合わせて10個あるとして……」
とやっていたときに、その男の子がいきなり「アスペン·ヘアーは1本250円やで一」と言い出したのです。私は怒ってその子の首を締めてやりましたが、このときはまだ冗談で済んでいました。しかし大学3年ぐらいになると事態はかなり深刻化してきました。どうしても後頭部にくらべて前頭部や髪の分け目の部分の薄さが目立つようになり、センター分けにしたりオールバックにしたりして誤魔化していました。ひとごととは思えないようなにとがあったのは大学3年のときのことでした。級友の1人が夏休み後の最初の授業のときに、すっかり髪の毛が薄くなって現れたのです。級友といっても、この人は別の大学の工学部を1回出てから医学部の1年に入り直した人なので、当時30歳前後だったと思います。もともとは髪の毛がフサフサとしていたのですが、まるで円形脱毛のひどいのにかかったようにバサッと毛が抜けてしまっていました。周囲の友達は本人の前では何食わぬ顔をして話をしながらも、陰にまわるとひそひそと、しかも深刻に真相の究明を楽しんだものです。1つの有力な説は、彼は夏休み前に結婚してアメリカに新婚旅行に行ったのですが、アメリカの水が体に合わなかったのだ、というものです。もう1つは、奥さんと大ゲンカをしてその心労で激しく脱毛したのだ、という説です。そのほかには、あれは元々がアスペン·ヘアーだったのだ、という人も1人だけいました。当の本人は陰で何を言われているかは全く気にせず、あるいは気にしていたのかもしれませんが、それを外に出さずに過ごしていました。その後、彼は髪をずっと短くしてしまいました。もし水が合わなかっただけならまた生えてくるはずですが、現在に至るまでそのままです。ということは、第3の説が正しかったようです。

 

作った髪型が崩れやすいと思

発毛効果はないので過剰な期待はしてはダメだと言われた笑

結局、奥さんを貰ってしまえばそれ以上カツラをつけている必要がなくなった、ということでしょうか。さて、大学3年の夏休みは私自身も自他ともに認めるほど髪の毛が減っていました。私は大学では卓球部に入っていたのですが、当然夏休みには色々な大会があります。そのうちの一つに国立七大学対抗戦というのがありました。これはひらたく言えば旧帝国大学の対抗戦で、私たちは俗に七帝戦と呼んでいました。主幹校は毎年もちまわりで、この年は仙台の東北大学で行われました。七大学総当たりの男女団体戦と個人戦が行われ、最終日の夜はレセブション、つまり宴会があったわけです。このレセブションでは「フィーリングカップル7対7」というのをやるから各大学で男女各1人出場させるように、というお達しがありました。フィーリングカップルというのは、私ぐらいの年代の人間には非常になつかしいテレビの若者向きお見合い番組で、最近でいえば「ねるとん」のようなものです。テレビでは5対5でしたが、このときのレセプションでは7対7でやることになったのです。なぜ私が出ることになったのか、というと1つは私が団体戦、個人戦とも出場して適当に活躍したということがあります。同じ活躍したといっても、優勝したようなコワモテの人はあまりおフザケに出るのもどうかと思いますし、一方、全然活躍していない人も顔が知られておらず、もうひとつ盛り上がらんだろう、というわけです。もう一つ考えられることは、私に彼女がおらず、周囲が真剣に心配してくれていた、という理由です。ねるとん風にいえば、彼女イナイ歴20年ということになりましょうか。卓球部ということから想像がつくように、他にも彼女イナイ歴=年齢という奴は沢山いたのに、何故私が特に周囲に心配をかけていたかというと、やはり男性とし
て致命的な欠陥をかかえていることに周囲がウスウス気付いていたからでしょう。ある親切な後輩などは「笹生さん、なんぼ相手をつかまえたとしても、距離が遠かったら長続きしませんよ。京大か、せいぜい名大の子にしとかなあきませんよ」とまで言ってくれました。さて本番の形式ですが、まず各自が自己紹介をしてから質問のやりとりをするということになっていました。私の自己紹介のセリフは同級生の幸田テツと1年上の大川さんが、頼んでもいないのに勝手に考えてくれました。これはもう徹底的に髪の毛にフォーカスを当てた自己紹介になったわけです。「このたび、関西リーグ戦や七帝戦など、長期遠征に行くに当たってやはり髪の毛にも配慮をしなくてはならないと思いまして」

ものがだんだんと増えてきてヘアトニックとヘアリキッドのどちらを持っていくべきかと悩んでいましたところ、幸田のテツに「直ちゃん、それはアンタ、髪乃素しかないで………」と言われてしまいま(笑)したここで固有名詞を出すにしても少しは知られている名前でないとウケません。その点、団体戦、固人戦にわたって活躍したテツの方が、単なる女子チームの監督である大川さんよりは都合がよかった、というわけです。「私、以前はゲルゲリー(髪の毛が爆発しているので有名なハンガリーの卓球選手)などといわれていたんですが、現在は何故だかヨニエル(こちらはすっかり髪の毛が薄くなっているので有名なハンガリーの卓球選手)などといわれています」(爆笑)という具合です。滑り出しの自己紹介を好調に終えた私は、そのあとは言うことなすこと全てウケた上に、最後には九大の女性を射止めることができました。しかし、その後彼女に対しては何のアフターケアもしないままでした。どうやら私に不足していたのは髪の毛だけでなく、マメさも全然足りなかったようです。当然、テツと大川さんは大喜びでした。色々言うてウケたけど、あれは全部ワシらが考えたったんやんか。ちょっとは感謝せんとあかんで一直ちゃん、「あんだけ、自分を犠牲にしたんやもんな、そらウケるで」というわけです。 まことにもっともなことです。大学3年頃から私の髪の毛は急激に無くなっていきました。クラスでは私の他にもあと2人、髪の毛の薄いのがいて、合わせて3大ハゲと言われていたことは前にも述さて、べましたが、この3人で寄ると話題は髪の毛のことしかありません。同病相哀れむなどと言いますが私たちの場合は少し違っていました。
呼吸不全で切れ毛や細毛へと進行させてしまうのです。
呼吸不全で切れ毛や細毛へと進行させてしまうのです。

長測剛はM字型の薄毛です

あなたが髪の傷みを改善してくれると信じて止まない整髪料類ハゲというものは深刻な病気というよりもむしろ滑稽なものであり、そしてまだ完全にあきらめきれずに一纏の希望を残している、という複維な感情を本人が持っているのが普通です。さらに私たちについて言えば、「自分は確かに髪の毛が薄いには違いないけど、あとの2人よりはマシやろう」とそれぞれに考えていたので、私たちが教室などで出くわすと、まずお互いの傷つけ合い
が始まりました。「笹生、お前どうしたんや、また髪の毛が薄くなっとるやんか」「何ゆうとんねん垣本、お前こそ前だけやなくてテッペンまで薄くなってきとるで。鏡で見えへんとこやから油断しとったんと違うか?」「ワシの場合は進行してへんから、ええねん」「しかし、二人とも西園には負けるなあ、あいつ見とったら、かわいそうになってくるで」そうや、そうや!という具合です。そして、その次には育毛剤とか髪の毛にいい食事などの情報交換が行なわれます。さらに私たちも当時は医学生の端くれだったので、たまには医学的解釈もしていたように思います。私たちの会話では、お互いにしかわからないディテールについての議論も色々ありました。例えば、髪の毛が薄くなっていくときというのは、毛根の力も弱くなっているようです。そうすると、髪の毛をつかんでちょっと引っぱっただけでも予想外の痛さです。風が吹いて髪の毛がなびくと、これまた毛根にひびきます。信じられないことですが、少し痛いわけです。また、どういうわけか、髪の毛というものは後ろはフサフサとしていても、前の方が少なくなっていきます。どういう時にこれを実感として感じるのかというと、例えば壁にもたれたときです。後頭部を壁に押し付けてみても髪の毛があるのでワンクッションがあって壁の感触が皮膚に伝わるような気がするのですが、頭頂部とか前頭部を壁に押し付けてみると、ダイレクトに壁の感触が皮膚に伝わってきます。もっと正確にいえば、皮膚の方も後頭部が厚くて、テッペンから前にかけて薄くなっているので、壁の感触がガチンと頭蓋骨に伝わるょうな感じです。

育毛サプリメント

髪の毛が薄いと、こういうやらなくてもいいことをワザワザ試してしまうのです。頭を水に濡らしたときが悲惨です。普段は髪の毛全体をふくらませたりして、何となく誤魔化していても水に濡れてしまうと、全体がペチャッと皮膚にはりついたさらに、り、前頭部に髪の分け目の巨大なやつが何筋も入ってしまったりします。実際にはクラブの試合や合宿のときなどが一番問題でした。風呂に入ったあとで全員で集まってミーティングだ、などと言われるとという感じです。また「最終日は練習をやめて全員で海に泳ぎに行くぞ」ということになると「キャー」と言ってハシャいでいる人「アワワ」達をしりめに、またしても「アワワ」です。それで思い出しましたが、こんなことがありました。夏休みにクラスの友達の1人が「今度ワシなあ、彼女とその友達といっしょにプールに行くねん。直ちゃんも一緒にどプールのタダ券もあるで」と誘ってくれたのです。またしてもかと思われるかもしれませんが、髪の毛が少ないといえども私も青春真只中、「アワワ」とうや?「アワワ」思う前に口の方が勝手に「そら行くで!当然と答えていました。男女各3人、今考えても逃す手はありません。とはいえ、髪の毛の方にも対策を立てなければなりやんか」ませんでした。そこで、他の野郎2人に頼んで作戦を練ったのです。泳いだときに、普段あれこれやり繰りして誤魔化している髪の毛の薄い部分が目立ってこれはマズイ!ということ
サインを受けた私は何気なく髪の毛を直す、というものです。サインはあとの2人が独立して送ることになっていました。確か、1人は鼻になったら、サインを送ってもらう、に手を当てる、もう1人は咳払いのジェスチャーをする、といったたぐいだったと思います。さていよいよ当日「必勝」の決意を胸に秘めながら私は某ホテルのプールに向かったのでした。プールの方は、過ぎ行く夏の終わりを楽しもうという人々で販わっていました。もともと私は小学校時代から泳ぐのは好きで、しかも得意な方でした。被せ髪を切られたら大変なことになる。