髪の扱い方が雑だ

男性と女の薄毛のきっかけの差異にちゃんと着目

ところが私の場合は20代前半にして髪の毛が薄くなりだしたのですから、これを不条理といわずして何を不条理といえましょう。いかにして髪の毛がなくなっていったか、については中学校にまで歴使を遡らなくてはなりません。最初に入学した田舎の中学校では髪形についての規則は何もありませんでした。私は単に真直ぐな髪の毛を真直ぐに伸ばしている少年にすぎませんでした。ところが、中学1年の終わりに引っ越しして神戸市の中学校に転校したのです。今はどうか知りませんが、当時、神戸市の公立中学では男子は全員丸坊主でした。こうすると何か効用があるのか、煩悩がなくなるのか、とにかく全員丸坊主でした。頭を洗うことだけは簡単でよかったのですが、揃いも揃って丸坊主というのは何とも滑稽な風景でした。もちろん高校に入ると再び髪の毛に関する規則はなくなってしまいました。それでも私が入学したのは進学校だったので、立花隆みたいな頭の生徒はいても、トサカみたいな頭をした生徒や、金髪に染めている生徒などは皆無でした。私も再び髪の毛を伸ばし始めましたが、どういうわけか中学校のときと違って、天然パーマの縮れた髪の毛が生えてきました。この頃の私はむしろ髪の毛が多すぎるぐらいでした。しかも伸ばし放題であまり真面目に髪の毛の手入れをしていなかったので、クシも通らないような状況でした。これはわざと無茶苦茶をしていたわけではなく、単に無頓着だったわけです。本人にしてみれば周囲と同じようにしているつもりでしたが、当時の写真を見ると私だけがわけもなく暑苦しい頭をしていたようです。この頃の私はまたずいぶん脂症でもあり、フケもたくさんでました。これは1回髪の毛を洗ったぐらいではどうにもならず、頭を掻くと、またフケが出るという具合でした。高校のときのことで覚えているのは試験のときのことです。実力試験の理科社会などは日本史、物理、化学の3科目合わせて3時間というような試験なのでヒマで仕方がありません。右手で答案を書きながら始終左手で頭をボリボリ掻いていました。しばらくすると、答案用紙の上にフケやら髪の毛やらがたくさん落ちてたまります。たまったところで、右手でサッサッと机の外に落として再びボリボリと頭を掻きながら答案を書いていました。

幼な馴染みの近所の散髪屋に電話をかけて

何となく答案用紙にもアブラがつくみたいで、答えを書こうとしても鉛筆でうまく書けないこともあったような気がします。思い起こせば一番最初に髪の毛が薄いことを意識させられたのは何と大学2年、実に弱冠20歳の時の事でした。そのにろ私は家庭教師で小学校5年生の男の子を教えていまし算数でた。「ノートは100円で、鉛筆は20円、合わせて10個あるとして……」
とやっていたときに、その男の子がいきなり「アスペン·ヘアーは1本250円やで一」と言い出したのです。私は怒ってその子の首を締めてやりましたが、このときはまだ冗談で済んでいました。しかし大学3年ぐらいになると事態はかなり深刻化してきました。どうしても後頭部にくらべて前頭部や髪の分け目の部分の薄さが目立つようになり、センター分けにしたりオールバックにしたりして誤魔化していました。ひとごととは思えないようなにとがあったのは大学3年のときのことでした。級友の1人が夏休み後の最初の授業のときに、すっかり髪の毛が薄くなって現れたのです。級友といっても、この人は別の大学の工学部を1回出てから医学部の1年に入り直した人なので、当時30歳前後だったと思います。もともとは髪の毛がフサフサとしていたのですが、まるで円形脱毛のひどいのにかかったようにバサッと毛が抜けてしまっていました。周囲の友達は本人の前では何食わぬ顔をして話をしながらも、陰にまわるとひそひそと、しかも深刻に真相の究明を楽しんだものです。1つの有力な説は、彼は夏休み前に結婚してアメリカに新婚旅行に行ったのですが、アメリカの水が体に合わなかったのだ、というものです。もう1つは、奥さんと大ゲンカをしてその心労で激しく脱毛したのだ、という説です。そのほかには、あれは元々がアスペン·ヘアーだったのだ、という人も1人だけいました。当の本人は陰で何を言われているかは全く気にせず、あるいは気にしていたのかもしれませんが、それを外に出さずに過ごしていました。その後、彼は髪をずっと短くしてしまいました。もし水が合わなかっただけならまた生えてくるはずですが、現在に至るまでそのままです。ということは、第3の説が正しかったようです。

 

作った髪型が崩れやすいと思

発毛効果はないので過剰な期待はしてはダメだと言われた笑

結局、奥さんを貰ってしまえばそれ以上カツラをつけている必要がなくなった、ということでしょうか。さて、大学3年の夏休みは私自身も自他ともに認めるほど髪の毛が減っていました。私は大学では卓球部に入っていたのですが、当然夏休みには色々な大会があります。そのうちの一つに国立七大学対抗戦というのがありました。これはひらたく言えば旧帝国大学の対抗戦で、私たちは俗に七帝戦と呼んでいました。主幹校は毎年もちまわりで、この年は仙台の東北大学で行われました。七大学総当たりの男女団体戦と個人戦が行われ、最終日の夜はレセブション、つまり宴会があったわけです。このレセブションでは「フィーリングカップル7対7」というのをやるから各大学で男女各1人出場させるように、というお達しがありました。フィーリングカップルというのは、私ぐらいの年代の人間には非常になつかしいテレビの若者向きお見合い番組で、最近でいえば「ねるとん」のようなものです。テレビでは5対5でしたが、このときのレセプションでは7対7でやることになったのです。なぜ私が出ることになったのか、というと1つは私が団体戦、個人戦とも出場して適当に活躍したということがあります。同じ活躍したといっても、優勝したようなコワモテの人はあまりおフザケに出るのもどうかと思いますし、一方、全然活躍していない人も顔が知られておらず、もうひとつ盛り上がらんだろう、というわけです。もう一つ考えられることは、私に彼女がおらず、周囲が真剣に心配してくれていた、という理由です。ねるとん風にいえば、彼女イナイ歴20年ということになりましょうか。卓球部ということから想像がつくように、他にも彼女イナイ歴=年齢という奴は沢山いたのに、何故私が特に周囲に心配をかけていたかというと、やはり男性とし
て致命的な欠陥をかかえていることに周囲がウスウス気付いていたからでしょう。ある親切な後輩などは「笹生さん、なんぼ相手をつかまえたとしても、距離が遠かったら長続きしませんよ。京大か、せいぜい名大の子にしとかなあきませんよ」とまで言ってくれました。さて本番の形式ですが、まず各自が自己紹介をしてから質問のやりとりをするということになっていました。私の自己紹介のセリフは同級生の幸田テツと1年上の大川さんが、頼んでもいないのに勝手に考えてくれました。これはもう徹底的に髪の毛にフォーカスを当てた自己紹介になったわけです。「このたび、関西リーグ戦や七帝戦など、長期遠征に行くに当たってやはり髪の毛にも配慮をしなくてはならないと思いまして」

ものがだんだんと増えてきてヘアトニックとヘアリキッドのどちらを持っていくべきかと悩んでいましたところ、幸田のテツに「直ちゃん、それはアンタ、髪乃素しかないで………」と言われてしまいま(笑)したここで固有名詞を出すにしても少しは知られている名前でないとウケません。その点、団体戦、固人戦にわたって活躍したテツの方が、単なる女子チームの監督である大川さんよりは都合がよかった、というわけです。「私、以前はゲルゲリー(髪の毛が爆発しているので有名なハンガリーの卓球選手)などといわれていたんですが、現在は何故だかヨニエル(こちらはすっかり髪の毛が薄くなっているので有名なハンガリーの卓球選手)などといわれています」(爆笑)という具合です。滑り出しの自己紹介を好調に終えた私は、そのあとは言うことなすこと全てウケた上に、最後には九大の女性を射止めることができました。しかし、その後彼女に対しては何のアフターケアもしないままでした。どうやら私に不足していたのは髪の毛だけでなく、マメさも全然足りなかったようです。当然、テツと大川さんは大喜びでした。色々言うてウケたけど、あれは全部ワシらが考えたったんやんか。ちょっとは感謝せんとあかんで一直ちゃん、「あんだけ、自分を犠牲にしたんやもんな、そらウケるで」というわけです。 まことにもっともなことです。大学3年頃から私の髪の毛は急激に無くなっていきました。クラスでは私の他にもあと2人、髪の毛の薄いのがいて、合わせて3大ハゲと言われていたことは前にも述さて、べましたが、この3人で寄ると話題は髪の毛のことしかありません。同病相哀れむなどと言いますが私たちの場合は少し違っていました。
呼吸不全で切れ毛や細毛へと進行させてしまうのです。
呼吸不全で切れ毛や細毛へと進行させてしまうのです。

長測剛はM字型の薄毛です

あなたが髪の傷みを改善してくれると信じて止まない整髪料類ハゲというものは深刻な病気というよりもむしろ滑稽なものであり、そしてまだ完全にあきらめきれずに一纏の希望を残している、という複維な感情を本人が持っているのが普通です。さらに私たちについて言えば、「自分は確かに髪の毛が薄いには違いないけど、あとの2人よりはマシやろう」とそれぞれに考えていたので、私たちが教室などで出くわすと、まずお互いの傷つけ合い
が始まりました。「笹生、お前どうしたんや、また髪の毛が薄くなっとるやんか」「何ゆうとんねん垣本、お前こそ前だけやなくてテッペンまで薄くなってきとるで。鏡で見えへんとこやから油断しとったんと違うか?」「ワシの場合は進行してへんから、ええねん」「しかし、二人とも西園には負けるなあ、あいつ見とったら、かわいそうになってくるで」そうや、そうや!という具合です。そして、その次には育毛剤とか髪の毛にいい食事などの情報交換が行なわれます。さらに私たちも当時は医学生の端くれだったので、たまには医学的解釈もしていたように思います。私たちの会話では、お互いにしかわからないディテールについての議論も色々ありました。例えば、髪の毛が薄くなっていくときというのは、毛根の力も弱くなっているようです。そうすると、髪の毛をつかんでちょっと引っぱっただけでも予想外の痛さです。風が吹いて髪の毛がなびくと、これまた毛根にひびきます。信じられないことですが、少し痛いわけです。また、どういうわけか、髪の毛というものは後ろはフサフサとしていても、前の方が少なくなっていきます。どういう時にこれを実感として感じるのかというと、例えば壁にもたれたときです。後頭部を壁に押し付けてみても髪の毛があるのでワンクッションがあって壁の感触が皮膚に伝わるような気がするのですが、頭頂部とか前頭部を壁に押し付けてみると、ダイレクトに壁の感触が皮膚に伝わってきます。もっと正確にいえば、皮膚の方も後頭部が厚くて、テッペンから前にかけて薄くなっているので、壁の感触がガチンと頭蓋骨に伝わるょうな感じです。

育毛サプリメント

髪の毛が薄いと、こういうやらなくてもいいことをワザワザ試してしまうのです。頭を水に濡らしたときが悲惨です。普段は髪の毛全体をふくらませたりして、何となく誤魔化していても水に濡れてしまうと、全体がペチャッと皮膚にはりついたさらに、り、前頭部に髪の分け目の巨大なやつが何筋も入ってしまったりします。実際にはクラブの試合や合宿のときなどが一番問題でした。風呂に入ったあとで全員で集まってミーティングだ、などと言われるとという感じです。また「最終日は練習をやめて全員で海に泳ぎに行くぞ」ということになると「キャー」と言ってハシャいでいる人「アワワ」達をしりめに、またしても「アワワ」です。それで思い出しましたが、こんなことがありました。夏休みにクラスの友達の1人が「今度ワシなあ、彼女とその友達といっしょにプールに行くねん。直ちゃんも一緒にどプールのタダ券もあるで」と誘ってくれたのです。またしてもかと思われるかもしれませんが、髪の毛が少ないといえども私も青春真只中、「アワワ」とうや?「アワワ」思う前に口の方が勝手に「そら行くで!当然と答えていました。男女各3人、今考えても逃す手はありません。とはいえ、髪の毛の方にも対策を立てなければなりやんか」ませんでした。そこで、他の野郎2人に頼んで作戦を練ったのです。泳いだときに、普段あれこれやり繰りして誤魔化している髪の毛の薄い部分が目立ってこれはマズイ!ということ
サインを受けた私は何気なく髪の毛を直す、というものです。サインはあとの2人が独立して送ることになっていました。確か、1人は鼻になったら、サインを送ってもらう、に手を当てる、もう1人は咳払いのジェスチャーをする、といったたぐいだったと思います。さていよいよ当日「必勝」の決意を胸に秘めながら私は某ホテルのプールに向かったのでした。プールの方は、過ぎ行く夏の終わりを楽しもうという人々で販わっていました。もともと私は小学校時代から泳ぐのは好きで、しかも得意な方でした。被せ髪を切られたら大変なことになる。

毛穴が痛みます。

薄くなったということはないです。

例えば、散髪を終ってすっきりした気分で待合室を通って帰ろうとしたときに、どこかのカツラ親父が座っていたりすると、とたんに不愉快な気分になります。何か鏡に写った自分を見るような嫌悪感が猛然と湧き上がってきて、「このクソ親父、こんな年でカツラなんかつける必要ないやないか。なに取り繕ってんねん。それにおんどれの頭なんかカツラかぶっているの一目瞭然やで!」とか何とか思ってしまうのです。そう言えば、アスペン·ヘアーの営業担当の人の多くが自らもカツラをかぶっているというのは前にも述べましたが、散髪の担当者はどうなのでしょうか。ある日散髪している最中にこの疑問にふととらわれた私は、今まさに髪を切ってくれている人の頭をジーッと鏡の中で観察してみました。すると、「この人もカツラやったんや!」と気突然
がつきました。勿論、散髪屋さんですから自らの髪の毛には相当な気を使っていて、一部の隙もないような髪形でしたが、じっと見ると自毛とカツラの境目が突然見えたのです。この辺の感覚は初めて3Dポスターが立体的に見えたときの感覚に似ているような気もします。当然ですが、それを悟ったからといって本人に言うことはありませんでした。

毛髪·発毛業界全体の革命につながります。


毛髪業界の高額体質が進めば

>すでに薄毛を克服するための大きな一歩を踏み出しています。知らん顔をして世間話を続けていましたが、こんなときは何となく相手に申し訳ないような気がしたものです。
8 新製品登場さて、私のカツラ人生にも大きな変化が訪れました。アスペン·ヘアーから正真正銘の新製品が発表されたのです。いままでのカツラは髪の毛にピンで止める方式でしたが、新製品は自毛にくくりつける方式を採用していました。自毛にくくりつけるといっても、元より前頭部の毛はほとんどありません。したがって両側面から後方にかけての約3分2周にわたってほぼ1センチおきに自毛でカツッラをとめるという離れ業を行うわけです。今回の新製品はそれなりに大きいもので値段も高かったのですが、初めて装着したときには私は大いに満足しました。後頭部の皮膚にあたる金属ピンの違和感が全くありません。今まではカツラをつけたまま寝転ぶと皮膚と床や枕の間に硬いもの、つまりピンがあって少し皮膚が痛かったのですが、新しいカツラはまるで自分の本当の髪の毛のようにフィットしていました。前額部は今までどおり両面テープで貼ることになるのですが、いつも同じ場所にピタリと決まりました。このいつも同じ場所というのは非常に大切なことなのです。金属性のピンを使って自分の髪の毛にカツラをとめていると、そこの部分の毛がひっぱられてだんだん薄くなってきます。そこで少し右やら左やらに位置をズラしてカツラをとめなくてはなりません。毎朝起きたときに顔を洗うついでにカツラをとめるのですが、何しろ朝は誰に限らず忙しいものです。あまり位置をよく検討せずに適当にカツラをつけてしまうと、一日中いかにも変な具合になってしまいます。この点、あらかじめ両側面と後頭部の位置が決まっていれば、毎日同じ位置にピタリと決まるわけです。何よりも自分の髪の毛にカツラをくくりつけているのですから、寝るときもはずしたりしません。一々つけたりはずしたり、病院で当直していて夜中に起こされるたびにまたつけたり、などとやっているのに比べてはるかに楽でした。髪にくくりつける方式というのは実際にやってみると先に述べた以外にも旧製品に比べていくつかのメリット、デメリットがありました。まずメリットですが、やはり取れにくくなったことです。前額部の部分さえアロンアルファなどでしっかりとめておけば走ったり泳いだり、遊園地に行ってジェットコースターに乗っても全然平気です。いつぞやは病院でこんなことがありました。その患者さんは中年のチャキチャキした女性で良く言えば天真燭漫な人でした。この人に注射をしたときのことです。


活性化されない毛細胞からは健康な毛髪は形成されず

むしろ短髪にした方

ハゲを隠している髪のズレを確認してベッドに寝ている彼女に今から注射をしますよ私はかがみこんで注射をしました。上手にしたつもりですが、針を刺したとたんに彼女はと言って、イターッ!!と叫んで私の髪の毛をワシ掴みにしてギューッと引っぱったのです。私は仰天しましたが、とっさに「カツラをむしり取られてはならん!」と思い、彼女が引っぱった方向に頭の方も移動させました。レスポンスといい、過不足なく頭を移動させたことといい、これは自分でも驚くほどの反射的な技でした。「○○さん何をするんですかっ!」と思わず私は大きな声を出し、その患者さんも謝りましたが、もしこれが新製品でなかったなら、いくら私の反射神経がよかったとしても間違いなくカツラと頭は泣き別れに
なっていたでしょうし、患者さんの方は謝る前に大笑いをしたことでしょう。それでは新製品に変えたことによるデメリットはどんなことがあるでしょうか。ずばり、搾いことです。メーカーの説明によればカツラの後ろ側の3分の2周をとめているだけなので、前側があいており、ここから手を入れて頭皮を掻くことができるということになっています。ところが、ここから手というより実際には指ですがを入れても掻くことのできる部分はほんのわずかです。


これが初期脱毛なんだと思います。とにかく指の届く範囲だけでも、と思って掻くのですが、何しろほぼ1カ月の間つけっぱなしにしているので、頭の後ろ半分は日が経つにつれてどんどんフケが溜まり、癖くなってきます。風呂に入ったときにはカツラごしに頭を洗うのですが、こんなことでフケが落ちるはずもありません。洗わないよりはマシ、というぐらいのものです。そこで何とか指以外のもので頭皮を掻くことを考えました。最初は耳掻きです。これはさすがに本来「掻く」ために存在しているだけあって、先端の「皿」の部分がいかにもうまくできています。しかし全体が直線なので、結局は奥にまで、つまり搾いところまでは届かないのです。そこでこれをカーブにして、頭の形にフィットさせればいいのではないか、とは誰でも考えることです。この耳掻きは竹のような木のような材料でできていたので、何回も火であぶって、ぴったり合う形にしてから実際に使ってみました。しかし、所詮は木です。いくらいい形に曲げてあってもちょっと強く掻こうと思うと、ぐにやっと曲がって力が入らないのです。もう少し材料が硬いものだったらよかったのですが、木ではどうにもなりませんでした。その次に使ってみたのは薬匙です。薬匙というのは、薬を化学天秤などで正確に0.01グラム単位で量るときに使うものです。形は耳掻きにそっくりですが、全体に少し大きく、金属製なのでいかにも頼もしいように思いました。これを曲げて頭の形にフィットさせて使ってみますと、今度は大変具合が良くなりました。何しろ金属なので、ちょっとやそっとではぐにゃりとなることはありませんでした。ちゃんと先端の「皿」の部分にまで力が加わります。金属の冷たくて硬い感触が頭皮に伝わってきて、随分頼もしい気がしました。搾い皮膚もかなり広範囲にまで薬匙がカバーしてくれましたが、それでもいささか問題が残りました。ひとつは、いくら薬匙でも前額部から挿入したものが後頭部までは届かない、ということです。せいぜい頭頂部まで届くのが精一杯でありました。結局、後頭部の皮膚をどうしたのかといいますと、カツラを後頭部の自毛に1センチおきにくくりつけている隙間から薬匙を差し込んで皮膚を掻いたのです。こうすることにより、かなりの部分の頭皮をカバーすることができました。ところが、カバーできない部分もあります。たとえば、カツラを自毛にくくりつけている部分などは、いくら工夫しても薬匙を差し込んでも、陰になってしまって届きません。頑張って掻こうとするほどフラストレーションがたまっていきました。フケというものは単に接いただけではだめです。掻いて、フケを頭皮から浮かしたのちに洗髪してきれいに落としてはじめてサッパリするのです。特製薬匙でフケさらに、を浮かせるところまではできますが、頭を洗うと、せっかく浮かせたフケが再び頭皮に貼りつくので、元のもくあみになってしまいます。そのようなわけで、散髪に行って髪を切り、カツラをつけ直した直後はいいのですが1週間、2週間と日が経つにしたがってどうにも頭が搾くなってきます。考えてもみてく
ださい。次の散髪まで4週間のあいだ、頭を洗わないで我慢しているのと同じようなものです。特にスホポーツなどをして、汗をかいたりすると最悪です。癖くて癖くて他のことなどは全く考えられなくなります。散髪に行く1週間ほど前ぐらいからは、指折り数えてカツラをつけ直す日を待ちました。


最後の体育祭。

「カツラをはずしたら、その場でバリバリと両手で頭を掻きむしったるで」と、そのことばかり考えていました。3日ぐらい前からは秒読み開始です。「あと3日」、「あと2日」いよいよ前日になると、もうなりふり構わずカツラをむしり取ってしまいたくなります。いよいよ当日です。待ちに待った散髪屋に行くときの心境というのは言葉では言い表しがたいものがあります。その日は、たとえ美女に誘惑されても、百万円の儲そして、け話が転がり込んできても、そんなものは後回しです。とにかく一刻も早くカツラを外してもらってバリバリと頭を掻くことしか考えていません。しかし、人間とは不思議なものです。散髪の予定時間の30分ほど前になると、あれほど癖かった頭が急に癖くなくなってしまうのです。何と表現したらいいのか、不思議に落ち着いた心境になってしまうのです。「ジタバタしなくてもあと30分もすれば、思う存分頭を掻くことができるぞよ」と思うと急に余裕が出てくるのかもしれません。というわけで私は毎回平静の心をもって散髪に臨みました。散髪屋に一歩入ると、石鹸のいい匂いがプンとします。「ついにこの日が来たか。思えば長い1ヵ月であった」などと感慨に耽りながら散髪椅子に腰を下ろします。係の人が自毛にカツラをくくりつけた部分を手際良くはずしていきます。平静の心で散髪に臨んでいるせいか、このときの私には一切の洋み、迷い、恐れ、などの世間話をしながら、煩悩はありません。ひたすら係の人のなすがままになっています。ついさっきまであれほど気が狂わんばかりに梓かったのにです。

オイルを手にとって髪になじませるだけ

両手で強くかきむしると大量の髪の毛が抜けてしまいました。カツラをはずした瞬間、これまで1ヵ月の間封じ込められていた頭皮の熱気がモワッと立ちのぼるような気がします。ついに頭皮は全面的に解放されました。もう私はいくらでも好きなように頭を掻く自由を得たのです。係の人はカツラのメンテナンスをするので、すぐに部屋から出ていきます。「さあ、人目をはばからずに思う存分、頭を掻いてやるぞ。でも今はあまり搾くないなあ」などと考えながら、少し頭を掻いてみます。すると、途端に頭全体に火がついたように搾みが襲いかかるのです。あとはもうひたすらバリバリバリバリと両手で掻いて掻いて、掻きまくります。それはもう手が2本、指が10本しかないのがもどかしいぐらいです。たちまち、散髪用ガウンの上には雪が積もったようにフケやら細い髪の毛やらが積もっていきます。指は脂でネトネトし、爪の間には蝋のようなものがはさまりますが、そんなことはお構いなしです。ひたすらバリバリ、バリバリであります。自分からは見えませんが、おそらく頭の皮膚は引っ掻き傷だらけになってしまっていることでしょう。しばらくしてバリバリが一段落したころにタイミング良く、係の人が戻ってきて散髪の開始となるのです。その時点の私はもう全精力を「バリバリ」に使い果たこうして、してしまっており、不思議な虚脱感の中でいつも呆然自失としていました。この係の人というのが結構よく変るのもアスペン·ヘアーの特徴でした。大体、1年も続けて同じ人に担当してもらうことは殆どありませんでした。ある日、散髪に行ったときに担当の人が変わっており、話をきくと
「先月、突然転勤になったんですよ」というのがいつものパターンでした。そしてさらによく話を聞いてみると、田舎の支店の店長になったとか、会社が新しい支店を作ったので任されたとか、比較的景気のいい話ばかりでした。これは私の推測ですが、当時の男性用カツラ産業は全体に急成長していて、アスペン·ヘアーも儲かって儲かって仕方がなかったのではないかと思います。私の散髪の担当をしてくれた人は合計で10人ぐらいにはなっていたと思います。その中でもやはり世間話がはずむ人とそうでない人がいるのも事実でした。何といってもよく話がはずんビのは中原さんという人です。この人は多分、私と同じか少し若いぐらいの年齢ではなかったかと思います。ちょうど、ネスカフェのコマーシャルに出てくる宮本亜門に似た感じの人でした。医学物の小説が好きで、よく読んでいると彼は言っていました。