半永久染毛料染毛剤

今日は何が何でも髪を守り抜くと。

これに対して製黙っているのは、お尻を撫でられた女性が黙っていて一言も言わないのと同じことでしょう。「スキンヘッドを撫でられたら間髪をいれずに相手を殴るべきである」と私は自分に言い聞かせました。どちらかといえば私は気が長く、腹の立つタイミングが人様より30秒ほど遅いので、「間髪をいれずに相手を殴る」というのは最も苦手とするところです。しかし、ことは男の面子にかかわることなので、イザというときにはやはり態度を
はっきりさせる必要がありましょう。このようなことを書いていると、この時期の私はすっかりスキンヘッドにすることを決心していたように思われるかもしれませんが、本当のところはかなり迷いがありました。スキンヘッドにするということはいかにも男らしいし、あの気の狂いそうな頭の癖さともおさらばできます。しかし、しかしです。実際にスキンヘツドにするということは、カツラをとることも含めて随分抵抗があるのも事実でした。妻はとにかく剃れ、剃れと毎日のように言います。なんという新妻でしょう!私はいずれ将来的にはスキンヘッドにするつもりにはなりましたが、それは2、3年先のことだろうな、と漠然と考えていました。

さて、脳外科では当然のことですが頭の手術をします。このときには手術前に全刺毛といって、患者さんの頭をすっかり剃ってしまうわけです。髪の毛があると、消毒したり皮膚を切ったりするのが難しくなりますが、何といっても手術しているときに髪の毛が脳の上に落ちたり、中に入ってしまったら大変なことになるからです。しかし、特に若い女性の患者さんの中には髪の毛を切ることに抵抗のある人が随分沢山いるようです。我々の感覚からすれば、髪の毛を切っても命の危険もなければ痛くもないわけで、手術そのものに比べればずっと気楽に済ませることができるのではないか、と思うのですがそうもいかないのが現実のようです。「先生は女性の心がわからないのよ、私は手術よりも髪の毛を切ることの方が嫌よ!」と言ったのは20歳を過ぎたばかりの学生さんでした。彼女は髪の毛を腰のあたりまで伸ばしていましたが、いざ病院内にある散髪屋に行って制毛するというときには相当抵抗しました。「そんなに私を丸坊主にしたいのだったら、先生も剃ったらどうなの。そうしたら患者さんの気持ちがわかるわよ」と言われたときにはよっぽど、「よっしゃ、ええチャンスやからこの際、思いきってスキンヘッドにしてしまおうか」と思わないでもありませんでした。患者のためという大義名分のもとに一気にスキンへッドにしてしまえば、私の過去を疑うものは誰もいないはずです。もう一歩のところでスキンヘッドにするのを踏みとどまったのは何も大した理由があるわけでもありません。そのときにはすでに土曜日の夕方になっており、早く家に帰って休みたかったからでした。

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カツラや植毛など

「悪いな、ワシもう帰るから君1人で行っておいで。そのうちにワシかて丸坊主にするさかい」と言って私は病院を出たのでした。スキンヘッドにしようかどうしようか、と悩んでいることはそう誰にでも相談できることではありません。そんなわけで私が相談したのは事もあろうにアスペン·ヘアーの中原さんでした。「先生、今さら何言うてるんですか。スキンヘッドやなんて正気の沙汰やないですよ!そんなこと言わんと、新しいのを1個あつらえはったらどうですか。今使っている製品は大分いたんできてますから、また新しいのが必要になりますよ。今度の新製品は前に比べるとずっと具合がいいですよ」という彼に乗せられて私はスキンヘッドにするどころか新しい製品を1つ注文してしまったのでした。またまたン十万円の出費です。新しい製品ができるまでには数週間かかりますが、この期間は少しうきうきした気分になる反面、大金が出ていくのが辛くもありました。
11 むしり取られたカツラちょうどゴールデンウィークになり、私は病院を休んで四国の妻の親戚の家に遊びに行きました。妻の母方の親戚はこの地で由緒正しい旅館を代々やってきたのですが、それを継いでいるのが叔母でありました。旅館の名前を「錦水」叔母は皆に「錦水さん」といわれていました。私たちはこの旅館に泊まって自転車に二人乗りして今治といい、城に行ったり、映画を見に行ったり、キャッチボールをしたりして過ごしました。そうやって普段できないことをして過ごしましたが、その間も妻は毎日のように「今しかない。今こそ剃ってしまうチャンスよ」と私を説き伏せようとしていました。そのうちにふと「いっそ坊主にしてしまおうか」という考えが頭をかすめました。念のため錦水さんに聞いてみると「折角、髪の毛があって若々しいし、本人はそれでちゃんとやっているのだから、無理に剃ることはないじゃないの」という、ごく普通のレスポンスでした。この2人の間に挟まれた私は「剃る剃らないは別にして、とりあえず開いている散髪屋の場所だけ確認してみよう」というまことに中途半端な決定をしました。しかしゴールデン ·ウィークのこととて営業している散髪屋さんは皆無でした。ちょっと足を伸ばして結婚式場にもなっているホテルに行ってみましたが、美容院はあれども散髪屋はありませんでした。「せっかく決心したのに残念だなあ」と私は半ば嬉しいぐらいでした。

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しかしこれを聞いた錦水さんは、幼な馴染みの近所の散髪屋に電話をかけて、「ちょっと一郎ちゃん、うちの甥っ子が頭をすっかり剃ってしまうけん、店を開けてちょうだい」と閉まっている店を無理やり開けさせてしまったのです。どうやら私の頭は、これを全部剃るという方向ですっかり皆の話が決まってしまいました。私は座布団をくくりつけた自転車の荷台に再び妻を乗せて、散髪屋に行きました。「実は私、今までカツラをしていたんですが、この際とってしまって坊主にしようと思うんですわ」と、散髪屋のオッサンに告白すると、オッサンは「へっ全部剃ってしまうんですか?」といって今さらながら驚いてしまいました。「このカツラは後ろの方で髪の毛にくくりつけて止めてあるんですけどね、まずこれを切ってはずしてほしいんです」「ようできてるカツラですなあ」というわけで、結婚以来、というより知り合って以来初めて真実の頭を妻にさらすことになりました。オッサンの方はいつまでも驚いていて「ほんまにこれ全部剃ってしまっていいんですな?」とやっています。初めて私のカッパ頭を見た妻はいっきに5歳ぐらい老け込んだような私の風貌を目のあたりにして、一瞬これは失敗か?と思ったそうです。私としては
ハゲている頭を見られる方が坊主頭よりも数段恥ずかしかったので「何でもええから、はよ剃ってくれ!」という心境でした。ウィーンというバリカンの振動が頭の皮膚に響きながら、残り少ない髪の毛がバサッ、バサッという風に床に落ちていきます。


右側の方が薄いですね

薄毛を克服できるかどう

そしてついにはすっかり坊主に、というよりスキンヘッドになってしまいました。外したカツラは用がなくなったとはいえ、一応袋に入れて持って帰ることにしました。再び自転車の荷台に妻を乗せ、すっかり涼しくなった頭で錦水旅館に向かってペダルを漕ぎました。やはり一歩外に出ると周囲の人の目が気になります。道を歩いている人が全員こちらを注目しているような気がするので全速力で町を走り抜けました。旅館に帰りつくと叔母がヒノキの風呂をわかして待っていてくれました。昼風呂に入って細かい髪の毛や長年にわたってたまった頭皮の垢を落とします。途中で妻が風呂を覗きに来ましたが、彼女は後々まで「あのとき浴槽にゆらゆらと浮かんでいた白い坊主頭が忘れられないわ」風呂から出た私は旅館の玄関の前で妻と叔母とともに記念写真を撮りました。今でこそ顔の皮膚の色と頭の皮膚の色が一致していますが、このときの写と言ったものでした。真では随分と生っ白い頭で、しかも恥ずかしそうな表情です。しかし妻の方は「やっぱり私の思っていた通り、頭の形がいいので坊主が似合うわあ」と御満悦でした。その夜、私は錦水旅館でひんやりした枕を後頭部に感じながら「とうとう本当にやってしもた」という感慨とともに眠りについたのでした。

薄毛について


かえって薄さを際立たせてしまうのは間違いないです。

さてスキンヘッドの頭で外に出ていきますと、四国の田舎町のこととて単に歩いているだけで周囲の人を随分驚かせてしまったようでした。ただでさえ身長180センチ以上ある大男の上に、スキンヘッドの頭が乗っているとなると田舎の人々には刺激が強すぎるようでした。どうも周りから人がいなくなるように思ったのは気のせいだったのでしょうか。一方、妻の方は「頭を坊主にしたからには、それに似合うメガネをあつらえなくっちゃ」と妙に張り切っていました。周囲に知り合いのいない田舎で坊主頭で過ごすのはしばらくすると慣れてしまいました。問題はいかにして大阪に復帰するかということです。どういう顔をして職場に出勤するのか、周囲の人々にどうやって言い訳をするのか、というのが私にとっての最大の課題でありました。否応なく時間はたち、ついにスキンヘッド後の初出勤の日がやってきました。
12 新たな出発人生の一大記念日であったはずのこの日のことは、妙なことにかなりの部分の記憶が欠落しています。この頃の私は自転車で大学附属病院まで出勤していたので、いつものように家を出て、白転車置場にとめたはずです。そこから病院の玄関を通り、エレベーターで9階まで上がり、病棟の1番奥にある研修医室まで行くのがお決まりのコースでした。その間には何人かの看護婦さん、患者さんやその家族、他科の医師などに会ったに違いありません。おそらくは、相手が事態を認識するよりも早くおはようございますと挨拶しながら小走りに研修医室に向かったのではないかと思います。ここまでの記憶があまりないということは、何といってもその先に待ち構えている研修医室の扉こそ私が最も重要視していたものだということを示唆しているのかもしれません。扉の前で私は一瞬止まってしまいましたが、すぐに気をとりなおして「おっはようこございまーす!」と勢いよく、しかもさりげなく入っていきました。私の頭に対する反応は予想したほどにはすぐに返ってきませんでした。

  • 毛穴の皮脂など
  • 生えなくなった髪の毛を再び生やす
  • この洗髪法です

私は手術よりも髪の毛を切ることの方が嫌よ!

切れ毛を回避する方法メタボ髪から守るには?

を見てください。そうです。四本の親指以外の指がくっついていますね。サージをしていきます。その時の手の形その手でマッ四本の指の腹を使います。爪を立てないでください。 そしてここからが肝心です。ちょっと汚い話になりますが、「ニキビ」はだれしもできたことがありますよね? そのニキビをつぶした事も一度はあると思います。じつは、頭皮マッサージもそれをイメージしてやっていきます。そして小さく円を描くように採み挟んでいきます。 それを両手の四本の指でつねるように頭皮をギューーー!!と挟んでいきます。痛くない程度にです。ではそのマッサージをまずはフェイスラインの左のこめかみの上から始めます。そしておでこの上、そして右のこめかみの上へといきます。ていきます。と後ろはそんなにマッサージはいりません。生え際と頭頂部をメインにマッサージしていきます。ないかと思います。 以上が横山式マッサージになります。それをだんだんと後頭部の方へと進め頭蓋骨の横の部分と後ろのネープ 部分ハチ下のよこここでポイントです分程度が目安ですが、これだけでもすっきりとするような感覚があるのでは
その7目的意識なにごとも最終的にはやり通す力「継続力」は必要不可欠になります。日で良くなるものではありません。養を基に一定のスピードで新しい細胞と入れ替わっています。活をしていても,健康は食事によっていくらでも作り替えることができます。私たちの体を形づくっている六十兆の細胞、栄つまり今がどのような食生一般的に血液は百~百二十日間で全て入れ替わると言われています。

薄毛の影響を受けにくい

そうすると3ヶ月から4ヶ月後最後に伝えたい事は、私たちの体は本当に良に体感として現れてくる事が予想できます。く創られています私は外部的な要因だけではなく、【脳】の潜在能力も活用していく事でより、相乗効果がえられると考えています。に付け加えて【言葉】としてイメージしていきます。 例えば、髪が生えてきた! 「根元のボリュームが出てきた!」「髪質がとても締麗になった!」と具体的に言葉にしてイメージする事です。そんなの効くのかよ!と思ってる方もいると思いますが、最近の脳機能の研究では、思考したり言葉を発する時に脳が部分的に活動している事が解っています。 考える事で、脳は反応しているのです。 病は気からと言いますが、思い込む事で脳はその方向へ向かい活動していくという事です。つまり、どういう事かというとイメージする事です。それこの理論を応用し、理想の髪を毎日イメージする事で、結果へと結びついていくという理論です。 ぜひ、いつまでも若々しく人から羨まれる髪を手に入れましょう! 同窓会で雲泥の差がつきます。美容は筋トレと同じですよね。男性·女性の美は「意識」によってつくられると思います。

 

結婚する人が薄毛だと嫌だなと考えている女性が大多数います。

を育ててしまいます。

見た目の顔のバランスだけでの美しさは十代で終わりです。本当の内面的な意識による「美」こそ人間を美しく成長させていくのではないでしょうか? 外面的な「美」と内面的な「心美」を健康と幸せで一緒に手に入れましょう!
カツラとの出会い1現在、私の頭は完全な坊主です。今風の言葉でいうとスキンヘッドということになりましょう。勿論、36歳の私がこの歳で髪の毛が一本も残らず脱けてしまったわけでもなければ、出家してしまったわけでもありません。要するに完全に剃ってしまっているわけです。私は現在アメリカに住んでいますが、日本と比べて種々雑多な人々が暮らしているこの国でも東洋人のスキンヘッドはかなり目立ちます。おまけに私は身長が186センチあり、アメリカでも大柄な部類に入るので余計に人目をひくようです。地下鉄に乗っても、大人の人は見て見ぬふりをしていますが、子供達はまん丸な目でジロジロと私の頭を見て、私と視線が合うと急に目をそらせたりします。職場で初めて会った人に紹介してもらうときでも、以前に何回も見たことがといわれることがあります。一度なぞは初対面の中年日本女性にある、「先日、ブルックラィンでお見かけしましたわよ」と言われたこともありました。何故、完全に頭を刺ってしまっているかというと、これには深く、長い理由があるのです。それをこれからお話ししましよう。その人が神戸の私たちの家にやってきたのは昭和58年の秋、私が24歳の時のことでした。身長160センチぐらいの小柄な中年のその男性は私に約束がある、とかで名前も名乗らずいきなり玄関に入ってきたのです。

医薬品として処方される育毛剤と同等の発毛影響が見応対に出た母親と私はびっくりしていたのですが、彼は玄関の扉を閉めてから、あたりをうかがうようにして○○から来た者ですと名乗ったのです。○○というのは誰でも知っている大手カツラ会社の名前ですが、これではわかりにくいので仮にアスペン·ヘアーとでも呼びましょう。実は20代前半にして頭の毛がかなり薄くなってきていた私は、その数日前に雑誌の広告を見てアスペン·ヘアーに資料請求の葉書を出していたのでした。もちろん、真剣に買うつもりもなく、一体いくらぐらいの値段がするものなのかという興味から、おもしろ半分に葉書を出しただけでしたが、資料の代わりに人間がやってきた、というわけです。浅川さんと名乗るその人とどんな話をしたのか今となってはよく覚えていません。気がつくと彼は私の頭にビニールの袋をかぶせ、上からセロテープをたくさん貼って型をとっていました。意外に思われるかもしれませんが、こうすると簡単に頭の型をとることができるのです。その後、マジックで薄くなっている部分に印をつけ、最後にサンプルとして私の髪の毛を数本切り取りました。注文してからカツラができるまでは数週間かかるということでした。値段は確か4、50万円はしたと思います。これをどうやって頭にとめるかということですが、それにはカツラの裏についている金属性のピンを使います。この4本のピンで髪の毛をはさんでパチン、パチンととめるわけです。こうするとまったくずれることもなくうまい具合に頭にとまります。
このようにして型をとった後しばらく世間話をしていたのですが、突然私の母親が「浅川さん、あんたもカツラをしているのと違うの。いっぺん取ってみなさい」と言い出しました。日本の大手男性用カツラメーカーのセールスマン自身が実はその会社の製品を使用しているというのは、雑誌か何かの宣伝で読んだことがありますが、実際に目の前にいる浅川さんはどこから見ても不自然な髪の毛ではなく、まさか違うだろうというのが私の実感でした。しかしながら、浅川さんは「うーん、普通は滅多に取らないんですが、いいでしょう。お見せしましょう」パチンとカツラをはずしてしまいました。そこに現われたのは見事にテッペンがハゲあがっている頭でした。そのテッペンのハゲている部分をピシャッとと言って、パチン、叩いて、ホレこのとおりと彼は言ったのでした。
頭皮の 毛穴に老廃物が溜まりやすくなってしまいます。
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薄毛の心配を克服可能な事

髪の毛にまでタップリ泡を付けてしまってそれを見た私は、なるほどこれはよくできているわい、と改めて思いました。さて、実際にカツラを注文してみるとできあがるのが待ち遠しくてなりませんでした。当時、わたしは医学部の6年生でしたが、クラスの中では三大ハゲとして有名でした。もちろん、医学的に見て髪の毛が少ないということと、健康か不健康かということは何の関係もないことです。私自身も、髪の毛が少ないということについては普段何の不自由もありませんでした。しかし、やはり年頃の独身男性として「こんなことでは女性にモテない」、あるいは「ワシがモテへんのは髪の毛が少ないからや」などと悩んだりもしたわけです。髪の毛が少ないことをギャグのネタにすることもありましたが、「これから先、どこまで減っていくんやろう」「ハゲにもまともな嫁さんが来るのやろか」と思うこともありました。しかし、気楽な学生時代です。私は周囲にカツラをつけるということを隠すつもりは毛頭ありませんでした。突然髪の毛が増えても単に新たなギャグになるだけです。そんなわけで周囲の友人達には、「もうすぐ、カツラができるからな。そうしたらワシは女にモテまくるで一」と言っていました。初めてカツラをかぶったのは昭和58年の年末だったと思います。いざカツラをつけて鏡を見ても、少し増えたかなあという程度で、そう不自然な感じはしませんでした。そもそも、まだ悩んだりしているうちは薄くなったとはいっても髪の毛も結構あったりするわけです。これをかぶって学校に行ってみましたが、最初に会った友達は、しばらく話をしていてようやく気がつきました。次に会った友達はこちらから言うまでは全く気がつかない上に、言ってからもしばらく疑わしそうにしていました。調子にのった私は三大ハゲの残りの2人を呼んできて、新しい髪の毛を実際にかぶったりはずしたりして自慢しました。残りの2人は
ようできとんなあーと言いながら自分達でもかぶったりしていました。私は思っていたよりも万事うまく行ったので大満足でした。家族の反応はどうだったでしょうか。まず父親ですが、私と母親はカツラのことは何も知らせていませんでした。わかっているのかわかっていないのか、彼はカツラのことに関しては全く何も言いませんでしたが、一週間ほど経ったある日、食事中に突然それはカツラか!と私の頭を指さして驚いたのです。

使う量を増やしても相変わらずで新しい商品にチェンジ

そして、母親に「あんた今頃、何ゆうとんねん。ニブいやっちゃなあ」と馬鹿にされていました。また私には3歳年下の弟がいます。彼は高校時代、頭がハゲるのではないか、という妄想にとりつかれて、いっとき肌身離さず「髪乃素」をもっていたことがあります。その後妄想から立ち直ったのですが、私と違って髪の毛にも服装にも気を配る人間でした。彼はちょうどその頃ケガをして入院していました。大学の帰りにお見舞いに行っても何も言っていなかったので、これは父親同様、何もわかってないなあ、と思っていましたが、あとで聞くと「見た瞬間わかったけど他にお客さんもいたので黙っていた」と言っていました。そんなわけで滑り出しは上々でした。私は毎日朝起きてカツラをかぶって学校に行き、帰ってきたら家の中ではつけっばなしのこともあれば、はずしていることもある、という生活を送っていました。論、寝るときははずすし、風呂に入るときにはカツラをはずして専用のシャンプーで洗っていました。当時はまだ人様にどちらの頭を見られてもさほど抵抗はありませんでした。しかし、カツラをかぶった生活に慣れるにしたがって、除々にカツラに依存していったのは否めません。
2 周囲の疑惑と戦う医学部を卒業すると同時に私は麻酔科に入局し、大学附属病院で新人の医師としての研修を始めました。社会人として新しい職場に入り、新しい人間関係を築くというのはカツラをかぶった人間としてはまことに好都合でした。同級生で、引き続き同じ職場で働く人間は2人だけであり、彼等もあえて私がカツラをかぶっているということを言うことはありませんでした。さらに麻酔科というのは大体1日中、手術室で勤務しており、手術室用の帽子とマスクを着用しているので、人から髪の毛を見られるということもあまりありません。濡れて柔らかくなった髪と枕が擦れ合う摩擦

髪にも栄養が行き届きにくくなります。

手触りの良さを求めるほど失われる毛髪の自然治癒力

太古の昔、人間がまだ海にいたころの感覚にひたりながらひと泳ぎして、ふと顔を上げてみると、何とサインが出ているではありませんか。あわてて、しかもできるだけ自然に髪の毛を直しました。またひと泳永ぎして顔を上げて何気なく残りの2人をうかがうと再びサインが、しかも両方から独立して、出ているではありませんか。またしても髪の毛を直して、ひと泳ぎ……などとやっていたのですが、全くキリのない話でした。残りの2人は、私が危機に見舞われるたびに律儀にも毎回サインを出してくれたので、泳いでいるあいだは勿論のこと、みんなでビーチボールで遊んでいるときですら、ボールを打っては鼻に手を当て、ボールを打っては咳払いをし、もちろん私の方はボールを打っているときですら反対側の手は常に頭にいっている、という具合でした。こんなわけで、プールに赴くときの私を「必勝」というなら、帰るときの私の気持ちを何と表現したらいいのでしょうか。一敗地にまみれたというべきでしょうか、敗軍の将、兵を語らずでしょうか。誰かの言葉に「ハンディキャップというのは克服するものではなく、利用するものである」という格言がありますが、この当時の私にはハンディキャップを利用するどころか、克服することすらできませんでした。この世はおしなべて搾取構造、あるいは人の弱みにつけこむ構造になっているように思いますが、後にカツラを通じて多大なる搾取をされてしまう私は、この当時は別のことで弱みにつけ込まれていました。それは何かというと、いわゆる育毛剤であります。これはもう、はっきりと育毛剤とうたったものから、髪の毛によいという触れ込みの何やら怪しげな、そして馬鹿高い値段のシャンプーセットまで色々でした。そして、何か親のつかいで町の薬局に行ったようなときでも言葉巧みに店員に育毛剤を勧められるという具合でした。これら育毛剤の中でよく覚えているのは、ある週刊誌の記事で読んだ薬のことです。これは広告ではなく、普通の記事の中に出ていたのですが、高血圧の薬を開発中にドイツの製薬会社が偶然に見つけた、という育毛剤です。

頭髪全体は順調に濃くなっていると感じます。


薄毛をすべて笑いに変えてしまう彼の持ち前の明るさでしょう。

>小さな髪の毛が生えてきてこの薬はハゲの原因の一つとされる男性ホルモンの作用を弱くする5アルファ還元酵素阻害剤の一種で、理屈からすれば確かに医学的には何らかの効果があるはずなのです。これはどこかで売っているはずだ、と思って色々探してみたのですが、随分マイナーな薬らしくなかなかみつかりませんでした。結局、大阪では天満にある薬局だけが扱っていることがわかりました。この薬こそが私の人生を根本的に変えるかもしれない、などと思いながら喜んでさっそく出かけてみました。所番地を頼りに行ってみると、随分場末にある小さな薬局です。入口のガラス戸には例によって更年期に効く漢方薬だとかだとか、果てはぢを肩こり、冷え症に治すだとか、ある意味では不気味な貼紙がたくさんしてありました。「こんな薬局で大丈夫かいな」とも思ったのですが、「いやいやどこで売っていても効くものは効くは
ず」とも思って中に入ることにしました。「あのう、ナントカカントカという名前の薬のことで」と言うや言わずのうちに、初老の店の主人がすぐに「ハイハイ、まあ掛けて下さい」と言ったのは、その育毛剤が売れ筋だったからというよりも、口にする前に私の用件を察知したからかもしれません。とにかく育毛剤を手に入れたらすぐに帰って頭につけてみるつもりだった私は椅子に座らされて、延々、主人の講釈を聞くはめになってしまいました。そして、その親父はいつごろから髪が抜け出したか、とかどのような性状のフケが出るかを根掘り葉掘り尋ねて記入していくのです。たぶん、製薬会社何やらカルテと称するものを出してきて、か何かのアンケートのようなものだと思うのですが、あまりにも時間が長くかかったので私はイライラして、思わず「要するに5アルファ·リダクテース·インヒビター(還元確かに医学的にも辻つまが合うので酵素阻害剤を英語ではこう呼ぶ)なんでしょ買いにきたんですよ」!とか何とか言ってしまったのです。店の主人はしばらくあっけにとられていたようですが、すぐ気をとりなおして「それじゃあ、薬効の方はよくおわかりでしょうから、省略しときます」と言ってようやく講釈を終わってくれました。しかし、値段の方は省略してもらえず、8000円ぐらいはふんだくられたように思います。さっそく家に帰って、頭につけてみたのですが、匂いも悪くありませんでした。この「匂い」というのが育毛剤には結構大切で、何しろ毎日つけるものですから、あまりにも悪臭だとか、あまりにも独特の匂いでは良くありません。たとえば某有名育毛剤なんかは独特の匂いなので、つけている人のそばによるとすぐにわかってしまいます。髪の毛の少ない人の心理として、ハゲている状態もさることながら、それに対して悪あがきをしているのを他人に知られる、というのも同じように耐え難いわけです。しかし、他の育毛剤と同様、せいぜい2週間ぐらいつけただけで、いつのまにかつけなくなってしまいました。これは単に私が怠慢で中途半端な人間だったからです。結局のところ、どれが私に向いた育毛剤やら、どれが無効だったのやら、何もわからずに終わってしまいました。多分、ハゲている人にこういうキャラクターの人は多いのではないでしょうか。この人の髪の毛は危なそうだな、と思う人に限って何も髪の毛の手入れをせずにボサボサということがよくあるように思います。私自身も、ちゃんと人並みに髪の毛の手入れをしていれば、ここまで早くハゲることはなかったのかもしれません。
6 カツラにするとモテるのか?


薄毛に悩む方

神戸方面の営業事務所を兼ねた散髪屋になっていました。ただの散髪ではありません。

その後も満足に栄養が行かない髪話をその後のカツラ人生の方に戻しましょう。「果たしてカツラにしてから人生は変ったのか?」というのが、これを読んでいる人々の疑問ではないでしょうか。もっと簡単に言えば「カツラを乗せてから女の子にモテるようになったんか?」ということになりましょう。これは単純明快に答えるのは結構難しい質問です。が、あえて簡単に言いますと、答えはイエスであります。カツラをかぶっていた当時、私が同年代の男性よりモテていたかどうかはわかりません。しかし、カツラをかぶるようになってからの私が以前の自分に比べてモテるようになったことは事実です。あまりよく知らない女性からいきなり電話があったり、手紙が来たり、突然セーターが送られてきたこともありました。また、病院の皆で飲みに行ったときに看護婦さんの1人に「私、先生の電話番号を教えてほしいの」と言われたこともありました。このときは不幸にも電話をつけたばかりで番号を覚えていなかったので教えることができませんでした。普通ならすぐ後にフォローするはずですが、ついそのまま放置してしまったのが私の性格をよくあらわしています。あるときなどは、なぜか職場の女性2、3人といっしょにバスタブのショールームで見本を見ていたのですが、私が「こんなわけのわからん形のバスタブに入る人がいるんかねー」


になると毛母細胞の分裂が弱と言ったら、いっしょに見ていた女性の1人に「私、先生と一緒だったら入ってもいいわ」とそっと帰かれた!!こともあります。しかし、残念ながらこのときもそれだけに終わってしまいました。というのは、今から帰くぞという予告でもあれば何か気の利いた、しかも効果的なセリフでも用意しておくところですが、突然言われてもあっけにとられてしまうだけです。もっと人生修行を積んだ人間なら、遅ればせながらも電話するなりして彼女の期待に応えるということもありましょう。その場で段取りをつけるぐらいになれば、これはもう達人の域といえるかもしれません。カツラをつけて人並みの青春を送っていた反面、心の中では世間に対して嘘をついているという罪悪感が常にありました。本当は頭がハゲとるのに、カツラで誤魔化しとという意識です。一方、「20代でこんなにハゲてしまうことの方がおかしい。本当はもっと髪の毛がフサフサしていて普通なんや。カツラをつけるっるのはフェアやない」ちゅうことは本来の自分に戻るだけやないかという気持ちもありました。このような心の葛藤はよく夢の中に出てきました。カツラがなくなってしまって恥をかき、ハゲ頭
をさらしながら大勢の人間の前でそれを探しまわる、というような夢を何十回見たことかわかりません。そういえば、年末によく放送される「爆笑!スポーツ名場面、珍場面」というような番組で、試合中にカツラがはずれてしまったテニスの選手を見たことがあります。彼は難しいボールに飛びついた拍子にカツラを飛ばしてしまったのです。その瞬間、観客に気づかれはしなかったろうか、という表情で彼は周囲をうかがってから、さりげなくカツラを拾ったのです。そんなもん、観客は1人残らず気がついたに決まっていますが、それでも周囲をうかがうところがカツラを使っている人間の心理をよくあらわしています。そういう私も一度、本当にカツラがはずれてしまったことがあるのです。大学を卒業したばかりの頃、私は週1回、大阪府内の公園のプールの医務室でアルバイトをしていました。医務室にやってくる人の大半は擦り傷か、プールの消毒薬で目が痛くなった人達です。ベテランの中年看護婦さんが勝手に消毒したり、Vロートを点眼してくれるので私は何もすることがありませんでした。そんなわけで、私は勤務時間の間はもっぱら泳ぐか昼寝をするかしていました。


頭皮の毛穴が詰まってしまい抜け毛の原因になるのです。

ここのプールでは私達の他にも水面監視のアルバイト学生も何人かいましたが、彼等は皆、日に焼けたたくましい体つきの青年で、ブールサイドの高い椅子に座って溺れるものがいないか見張っていたり、水温を計ったりするのが仕事でした。プールの方は昼間は賑わっていますが、私が出勤する午前9時頃は殆どお客さんはいません。そこで、誰もいないブールを1人で独占して泳ぐわけです。私が1人だけで泳いでいても水面監視のアルバイト学生はテントから出てきてブールサイドの椅子で律儀にも見張りをしていました。事件はその監視人の目の前で起こったのです。気持ちよく泳いでいた私は、つい調子に乗ってブールサイドから飛び込みをやってしまったのです。バシャーンと水の中に飛び込んで、バシャバシャと泳ぎかけた私は何故か急に額のあたりが涼しくなったような気がしました。立ち上がって頭頂部に手をやった私は、本来そこにあるべきものが無くなっているのに気がついたのです。いや正確にいうと無くなっていたのではありません。5カ所で止めてあるうちの最も重要な1番前のピンが飛び込んだ勢いではすずれて、カツラの前半分がとれて裏返しに折り返されていたのです。「ぬぬっ、これはもしかしてアルバイト学生に目撃されたかもしれマズイ。などと思ない」いましたが、水面監視人の様子を見る勇気もなく再び水の中に潜替りました。泳ぎながらはずれたビンをつけ直し、そのまま反対側からプールを出て、何食わぬ顔で医務室に戻りました。全く、カツラにとって水は大敵です。さて、カツラをしている人間は他にも思いがけないところで注意しなくてはなりません。経験のない人にとっては考えもしないことでしょうが、服を買うときなどにも注意する必要があるのです。百貨店などを歩いていてよさそうなセーターが目についたとしても、それがVネックであればいいのですが、首がつまっているようなタイプだと買うのをあきらめなくてはなりません。

上の髪で見えないようだ

その金額がかかり続けるという事です発毛サロン業界最大手セーターを脱いだとたん髪の毛も取れて、まわりの人をびっくりさせかねないからです。さらに注意しなくてはならないのは遊園地です。ジェットコースターなどに乗ると、頭に当たる風の勢いでカツラが飛んでいってしまうかもしれないのです。実は私はこれでエライ目に遭ったことがあるのです。
本来その日は遊園地に行く予定などありませんでした。しかし、お相手の女性が遊園地に行きたがったので、つい「遊園地なんか怖くないぞ!」とわけのわからない意地を張ってしまったのです。でももうあとの祭です。なぜか私は遊園地の入口に吸い込まれてしまいました。さらに悪いことには、その女性は何故かスリリングな乗り物がお好みのようでした。でも、彼女が「フライング· カーペットに乗ってみましょう」と言ったときにはまだチャンスがあったはずです。「いやあ、どうも僕はこういうのに弱くって」という言い訳をして逃れてもよかったのです。事実私は乗り物酔いが激しく、子供の頃からバスが苦手でした。しかし私は愚かにも「フライング·カーペットだろうが何だろうが、怖くないぞ!」という意地を張ってしまったのです。確かに泣こうが叫ぼうが時間が来れば乗り物は止まります。しかし、風で髪の毛が飛んで行ってしまったら、私の立場はどうなるのでしょうか。いろんな意味で取り返しのつかないことになるのは目に見えています。そのことを恐れた私は取りあえずトイレに行って髪の毛の点検をしました。5つのピンをもう一度しっかり止めなおしたのですが、どうも最近、前額部がさらに薄くなって髪の毛を挟んで止めるピンがいくら頑張ってもしっかり止まらなくなっていたのです。前後にずらしたり、左右にずらしたりしてみましたが結局、少し緩いままにきており、しておかなくてはなりませんでした。覚悟は決めたものの、これという対策もなく私はフライング·カーペットに乗り込むことになりました。これは4、50人ほど人を乗せて縦にグルグルと回る乗り物です。外から見ている分にはさほど怖そうには見えませんでしたが、いざ乗るとなるとメガネや持ち物は飛んでいってしまわないように預けなくてはなりませんでした。思わず頭のテッペンは大丈夫だろうかと心配してしまいました。さて、座席に座ると安全ベルト代わりの鉄のバーが膝の上にガチャンと降りてきました。万が一のときでも人間がカーペットから放り出されないように、ということです。前の座席の背もたれの手すりをしっかり握るとカーペットがおもむろに動き始めました。ゆっくりと高いところまで上がって行きます。頂点で一旦ピタリと止まったときには予想よりも随分高いところに来てしまっており、「こりゃあちょっとマズイぞ」という気がしてきました。つかのまの静止の後にカーペットは地面めがけて落ち始めたのです。周囲からは「キャーツ」という悲鳴が上がっています。私は無意識のうちに右腕で手すりを抱え込み左手で頭頂部を押さえていました。万ーカーペットから体が放り出されても困るが髪の毛も放り出されたら困る、という私の立場からすれば他の姿勢は取りようがなかったのです。「グオオオオオ、グオオオオオ」という不気味なうなりを上げてカーペットは前に回ったり後ろに回ったりします。